まだまだ曇ったメガネで世界を見てる

おはようございます。シラです。
今日も真我の実践に焦点を合わせて毎日を過ごすためにブログを書きます。
お読みくださりありがとうございます。

朝、入れさせてもらってるLINEグループにMDさんの投稿が上がってて読みました。

三日月前提だった。

分かってないから分かって欲しいとかぶせてた。

YSメソッドじゃなかった。

ハッとしました。
読んだときに「自分のことだ」と直感しました。

2週間前にN川さんとのLINEのやりとりで気づいた、“サンタそのものではなくサンタになってる”ということと何か通じてる気がします。
N川さんとのやりとりが途中になっているので、サンタになっているということまでは分かったけれどどうしたらいいかまではまだわからない。

やりとりが途中になってるのは、「ここからは自分で気づくんだよ」ということのような気がします。

MDさん、奥さんのMEさんの話は先月の飛神覚醒会で学長に真我との対話をやってもらった直後にお二人から刈谷友の会でお話を伺いました。そしてその背景にあった話を今朝のLINEで知りました。
もう僕のために教えてくれてるとしか思えない。

わからない、わかってないからこそ進もうと思いました。

たぶんまだまだ曇ったメガネで世界を見てる。。

追伸
書き終えて、何かの本に書いてあった「問題からスタートするんじゃなくて完全完璧からスタートする」という言葉が降ってきました。
僕は「自分が全然わかってない、わからない」という問題からスタートしてるのが間違ってるのか?

コメント

  1. 小石哲郎 より:

    自分が全然わかっていない、わからないということ自体が、問題ではないと思います。認識の世界からは、無限は、永遠にわからない。無限の無限さを感じているから、頭ではわからない世界を感じているから、認識では、わからないと感じる感性が、物事の真実が観えている証拠だと思います。自分の認識の世界では、無限がわからないという自覚こそ、今の姿、わからないという姿こそが、完全完璧スタートだと私は思います。『わかったと言った瞬間わかっていない。』という学長の言葉と、白鳥さんの姿は、真逆です。白鳥さんは、『今、少しずつわかってきている。』のではないのでしょうか。実践されているからこその言葉だと思います。素晴らしい!ありがとうございます。