妻の誕生日をお祝い 今、今、今、

おはようございます。シラです。
今日も真我の実践に焦点を合わせて毎日を過ごすためにブログを書きます。
お読みくださりありがとうございます。

昨日は夜に家族で妻の誕生日をお祝いをしました。

息子こーちゃん、大活躍でした。

僕と二人で買い出しに行き、ピザを作ろうと提案してくれたり、「ママはいつもこれかこれが好きなんだよ」と妻の好きなカクテルを教えてくれたり。

自分が提案したピザをチーズやアスパラ、ベーコンを乗せたりして妻と二人で料理をしてました。

下の娘ゆーちゃんもまた大活躍でした。

乾杯して食事しながら、たくさんお話してみんなを笑わせてくれました。

小3にしてママがばあちゃんから生まれてきたことを初めて知った息子

「ゆーちゃんは誰から生まれたでしょうか?ヒント、俺はママから生まれてきた。」

笑ってごまかす娘

「答えはゆーちゃんもママでした~」

笑いながら、ちがうと首を横に振る娘

「ゆーちゃんはパパ!パパから生まれてきた~!」

え!そうなの!!とみんな大爆笑

「ママー、ママは何から生まれてきた??」

何からって…、たまごとかそういうこと??(笑)

たくさんお喋りできるようになって、みんなをたくさん笑わせてくれました。
ハッピーバースデーの歌もみんなをリードして大きく手を叩いて大きな声で歌ってました。

みんなで準備してみんなで楽しんだ誕生日のお祝いでした。

寝る前に妻が「子どもたちが小さい時も良かったけど、1番楽しかった~」と言っていました。僕もそう思いました。

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子育てをしてて、いろいろ大変だと

「早く大きくなってくれ~、そうしたら楽になるのに…」

と思ったりします。そしていざ実際、子育てが終わってしまって子どもたちが大きくなってしまったらきっと、

「あの頃はよかった…」

と思うのではないでしょうか。
こういうことはよく聞く話ですよね。

これって冷静に考えてみると、“いい時期”がありませんよね(>_<)

“いい時期”はいつなんだ?と。

“いい時期”がないというか、正確には“いい時期”のときに「ああ~、いい時期だな」と感じとれず、過ぎ去ってしまってから「あの時がいい時期だったんだ」と後から気づくだけで、その瞬間にその“いい時期”を味わえない。

欠けてる、足りないところに目が行くと結局いい時期は一生ないように思います。

子育てで子どもがちっちゃくて抱っこしたりおんぶしたり重たくて大変だと早く歩いてほしい…と。歩き出したら歩き出したで危なくて目が離せない、早くいろいろ分かるようになってほしい…と。

これって子育てだけじゃなくてすべてに言えることだと思います。

自分自信を振り返ってみても、子どもの頃は早く大人になりたくて「大人はいいな…」と思ってたけど、大人になったらなったで「子どもはいいな…」と思ったりしてました。以前は。

子育てに限らない。
すべてにあてはまることだと思います。

こうなったら幸せ、ああなったら幸せという話ですね。

仮に「こうなったら幸せ」のこうなったとしても、なったそのときは幸せを感じるかもしれないけど、次の瞬間にはまた新たな違う足りない欠けている(と自分が感じている)ところに目が行き、「ああなったら幸せ」「こうなったら幸せ」と思い始める。
同じことの繰り返しですよね、きっと。

いつまでたっても幸せになれない。

どこまでいっても幸せじゃない。

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今朝、『成功と幸福を呼ぶ言葉』を久しぶりに小本すべて読誦しました。

今に生きる

今がチャンスだ
今が最善
今の中に過去の全てが入っている
今の中に未来の全てが入っている
今を変えれば過去のすべてが変わる
今を変えれば未来の全てが変わる
今を変えれば周りの全てが変わる
今に生きれば生命が活動する
今に生きれば魂が輝く
今こそチャンスだ
今ここに縁がある
自己を変えるチャンスは今しかない
今、今、今、今の中に全てがある
今、決意せよ
今、行動せよ
今、すぐ変われ
人生とは今の事を言うのだ
過去のことをグズグズ悩むな
過去はどこにもないのだ
未来のことを心配するな
未来はどこにもないのだ
今の心の中に過去も未来もあるのだ
今に感謝せよ
今を愛せよ
全てが完全なのだ
今とは宇宙のことを言うのだ
ありがとう
ありがとう
今に感謝

そういうことだと思いました。
今この瞬間が“いい時期”、“幸せ”ということに気づく

そんなことを妻の言葉からあらためて思いました。