気づいていないだけで命懸け

こんにちは。シラです。
今日も真我を開いて毎日を過ごすためにブログを書きます。
お読みくださりありがとうございます。



なかなかいろいろなことがある毎日です。
先日あったことを書き残しておこうと思います。



極近しい人から、「実はがんの末期だ」「余命○ヶ月だ」と打ち明けられました。
そして○○をあなたに貰ってもらいたい。
あなたは相続のこと詳しいから教えて欲しいんだけどどうしたらいいか?
と言われました。



推定相続人でもない僕に千万単位のものを渡したい、頼みたいなんてことを言われ、余命宣告されたことを聞いただけでも頭が混乱してる僕の頭はさらに混乱しました。
その渡したいものというのは、その人が一生かけて築いたいわゆる目に見える資産の一番大きなもので、その人の生きがいのためにあるようなものです。
その人の色んな想いをキャッチしていくととても胸がいっぱいになりました。



真我を開いてがんを消す、ということを思いました。



その方はこれまで本当に好きなことに打ち込んで生きてきた方で、末期であるならば治療をせずあるがままを受け入れ、今までと同じように家族と自分の好きなことをして残された時間を生きたい、と望んでいることを知り、真我の話をするのをやめてしまいました。



その方は医者に言われて残された時間がわかったわけですが、医者に言われていないからどれくらいかわからないだけで、でも人生の最期に向かって一日一日生きているのは自分も同じだって思ったら、



これまで明日が来るって当たり前のように思いながら、



いや当たり前すぎてそんなことを考えもせず寝て起きて、



やっぱり来た今日という日がかけがえのない一日に感じています。



みんな気づいてないだけで命かけてるんですよ。『命懸け』なんです。



という僕の中でとても刺さっている話が心の中でこだましてます。