おはようございます。シラです。
今日も真我を開いて毎日を過ごすためにブログを書きます。
お読みくださりありがとうございます。
今週月曜の友の会の時にM君と話をしてて気づいたことのメモ。
最近自分の思うこと感じることを話してる中でのこと。
人の言動 行いは
すべて愛を求める叫びなり
で世界を見てる。
怒ってる人を見ても、落ち込んでてる人を見ても、迷ってる人を見ても、頑張ってる人を見ても、人とか変わらないようにしてる人を見ても、泣いてる子供を見ても、はしゃいでる子供を見ても、いろんな人のTwitterやFacebookの投稿やコメント見ても、いろんなものを見て愛に基づいた言動に見てる。
そしてどんな愛に基づいての言動かな?
ああ、こういう自分の存在を認めて欲しくて怒ってるんだな…
ああ、失敗して周りの人に迷惑かけてごめんなさいって周りの人に対しての愛で落ち込んでるのかな…それともこんな周りに攻撃されて自分を守って落ち込んでるのかな…
などなど、どんな愛なんだろう?って見てる。
また、入ってくる情報やアイデア、あ!これ、あの人に届けたら愛の叫びを満たせるかも。これはこの人の愛の叫びを満たせる気がする。
そんなふうに気づいてパッパとLINEしたり電話したり。
これをM君に話してて、愛の叫び=神シーズなんじゃないかって気がしました。
そしてこれって満月を『前提』としてるってことなのかもしれないとも気付きました。満月で見よう見ようとしてない。
『愛』が前提にあって、どんな愛なのかな?っていう思考回路になってます。
『前提』ってところがちょっと腑に落ちてきてる。
またわかんなくなっときに読み返せるようにメモメモφ(..)