こんばんは。シラです。
今日も真我の追求と仕事の実践に焦点を合わせて毎日を過ごすためにブログを書きます。
いつもお読みくださりありがとうございます。
今朝、いつもとおり笑顔の筋トレ1分間をやったあとに今日着るYシャツにアイロンをかけながらふと思ったことを書きます。
それは心が先?言葉が先?行動が先?ということです。
心が大事?言葉が大事?行動が大事?と言い換えてもいいかもしれません。
結局何が先なんだろう?
結局何が大事なんだろう?
ということです。
アイロンをかけながら、先ほどやった笑顔の筋トレを思い出して、「楽しいから笑う、笑うから楽しい」とか、心がズタボロになってしまった岡田社長が顔を洗ってパッと鏡を見たら超笑顔で、「形状記憶笑顔」ということばが生まれたとか、そんなことを思い出しながらアイロンをかけていました。
結局、心が先なのか?それとも言葉、行動が先なのか?どっちが先なんだろう?どっちが大事なんだろう?
そんなことを思いました。
みなさんはどうお考えでしょうか?
僕なりの結論は「どれも大事で時と場合による」んだろうなということでした。
佐藤先生はある時には心が大事と言い、ある時には言葉・行動が大事と言っているように思います。質問者によっても答えが変わるのではないでしょうか。
その言葉尻だけを捉えてしまうと、さっき言っていたことと矛盾するじゃないかということになってしまうのですが、決してそんなことはないんだろうと思います。
すべて一貫している。
すべてに矛盾がない。
ある時は心が先でその心を言葉・行動に表わしていく。
ある時は言葉・行動が先で心が後からついてくる。
ケースバイケース、というのが答えなんだろうな、と思いました。
究極は心が100%のような気がします。
その心を現実社会に言葉や行動で現していくと結果が変わる。
だけど、なかなか心がそのようにいかないときには心とは関係なく先に言葉や行動をすることで後から心がついてくる、というのもある。
だからそれを臨機応変に使い分けるじゃないけれど、そのときそのときの状況で合わせてやれれば1番だよ、佐藤先生はそう言いたいんじゃないだろうか?と思った次第です。
そんなことはあたり前で、みなさんそのように受け取っていましたか??
臨機応変にそれができるということは…=自由自在!ということなんでしょう。
心が先とか言葉が先とかは固定的でなく、臨機応変に対応することが大事なんだろうと思いました。
今日も妄想を消すワークをやりました。
やっぱり妄想でした。まだまだ妄想に振り回されています。妄想族です。
致命傷でなければ、それも学び、よきことと、改善点がわかった!というように、落ち込みや感情の浮き沈みがなくなってきたように思います。
今日移動時間中に実践プログラムのランディングページを観ました。
ここにある動画を観るだけでもかなりの価値があるんじゃないか、、