おはようございます。シラです。昨日は息子の出校日でした。宿題の半分くらいを出校日に提出をするのですが、何を勘違いしたか息子は夏休みがもう終わったと思っていたようで、「パパの嘘つき」と朝から不機嫌でした。誤解を解いて、集合場所まで送っていく途中の息子の言葉にズッコケました。
「はあー、学校ひさしぶりだな~」
「ねえパパ、でも大丈夫。オレちゃんとおぼえてるよ。オレ2年生でしょ?」
そこまで忘れてしまいそうなほど、夏休みを長く感じてるんですね(笑)
今日も真我の追求と仕事の実践に焦点を合わせて毎日を過ごすためにブログを書きます。お読みくださりありがとうございます。
Q.成績はまずまず順調なんですが、どういうわけか最近すっかりモチベーションが下がってしまいました。これはどういうわけなんでしょうか?
ポイント モチベーションが下がった時が、意識次元を上げる最高の機会
→A.モチベーションが下がって落ち込んだ時が、今思うと最高の時期だったです。今思うとね。その時は最高じゃないですよ。
最低ですよ。でも、その時に私の魂がグーンと上がったんです。私がなぜ真我なんて究極のことをやるようになったかというのは、そこなんですよ。地獄を見たからなんです。
だけど、今思うと、あれもモチベーションのうちだなと思うんですね。思いっきり落ち込んでいるというのは、モチベーションなんです、あれね。マイナスのモチベーションだけどね。
そこで、20キロでぶつかるのと、100キロでぶつかるのとでは、100キロでぶつかった方が車は壊れるでしょ。でも、車が壊れることによって中身が出てきたみたいなものですよ。車が壊れて、外側が壊れて、中身が出てきたみたいな感じなんです。
ですから、落ち込んだときとか、苦しんだ時というのは、実は、最大の財産だったということが、後になって分かります。まあ私の場合は、レストランを経営することが自分の使命じゃなかったから落ち込んだんだけどね、今思うと。
だけど、もう今では確かにモチベーションが下がるということはあまりないだろうね。今は昔のモチベーションのやり方とは違うけどね。
昔はね、エンジン欠けていたんです、毎朝。毎朝ね、「よし、やるぞ!」って言ってね、「今日一に精一杯やるぞ!」って。
例えば、講演なんか頼まれたらね、2時間くらい前から行ってね、「よし、今日は思いっき熱意を持ってやるぞ!」とかね、そして、「今日はどうもノラないな…?」と思ったら、表をランニングして、少し深呼吸して、「ヨシ、ホイッ!ホイッ!」なんて言ってね。そうやってモチベーションを上げていた時期もありました。
で、今はどうかというと、今はね、「これから講演してくれ」って言われても、寝ぼけ眼できてパッと今この場からすぐ変われます。
だから、全然事前にモチベーションを上げるような必要はないです。自由自在です。真夜中に起こされて、すぐ講演できます。準備いらないというか、むしろ準備がない方が上手い話ができます。今はね。今は準備しない方がいいんですよ。なぜかと言うと、準備しなきゃ、天啓が聞けるから。皆さんから質問を受けて困った時に、自分がなくなって、自分がなくなると天啓が聞けて、天啓の話ができるんですよ。だからね、自分で話ながら感動することありますよ。調子良い時は。慌てて自分が喋りながらメモしてます。「オー上手いこと言ってんなあ!」なんてね。それが私が言っている“上がり”の世界なんです。
エンジンをかける世界と、“上がり”の世界があるんです。ロケットでバーッと上がっていくにはエンジンがいるでしょ。でもポーンと大気圏を抜けたら、もうエンジンがいらない。後は自動的に動いていくというか、そういうような感じの世界がある。そういう“上がり”の世界があるわけです。もう自動的にパパパッと動き出していく世界。そして、あらゆること、いろんな状況が見えてきます。
今はたまたま営業の話だけど、これが多分経営の話だってすぐできるでしょ。経営者の相談にも乗ってあげれるだろうしね。
例えば、医療の話だってできるだろうしね、自分が勉強したことないことでもできるようになる。不思議ですよ。それが“上がり”の世界なんです。普通は、いろんなこと学んでやるでしょ。そうじゃない。学ぶんじゃない。見えるんですよ。そういう世界がありますから、皆さんね、ぜひ、“上がり”の世界があると…、“上がり”の世界があるわけなんです。自由自在の世界というね、いろんなことがパーッと見えるわけ、過去も未来も同時にパッと見えるんです。
佐藤康行「究極の営業プログラム」より
以前にYSの講座、真我開発講座を連続してばーっと受講してはじめて“本当の自分”に目覚めたという頃、今日のリライトをしたような感覚がありました。
お客さんのところに行くのに何を喋ろうかどうやって話そうか…って準備をしていくより、準備なしで(バタバタ忙しくて準備する時間がなく、というのが正直なところですが)お客さんに会って、いろんな相談が出てくるんだけど、準備ができてないから困りながらも話をしている方がお客さんの望むことに答えれる。何か聞かれてもパッとひらめく。そんな感覚を少しだけ味わったことがあります。
お客さんからもどんどん電話がかかってきて予定が埋まるし、お客さんに会えば仕事が決まってやること増えるし、とにかくバタバタバタバタしていて無我夢中で全く「味わう」なんて余裕ありませんでしたが。
リライトしていて、
(ああ、あのときはこんな感じ会ったよな…。)
(“上がり”の世界を垣間見たのかな…。)
(今、あのときまでの感覚はないな…。)
などと思ってしまいました。仮に、その時のことを成功体験とするならば、成功体験に縛られてるような気がしました。
・・・・・
昨日、子ども達は好きなことして遊び、妻と僕は食器洗ったり、洗濯物をやったり、掃除機をかけたりと家のことをやっているときに、たまたまテレビで「一切の無駄のないキッチン」みたいなことをスーパー主婦が紹介をしていました。
収納を無駄をなくし、料理をするときの無駄をなくし…とすることで料理をする時間が大幅に短縮する、というような内容でした。
少し前までの僕だったら、「おお、すごいなあ」と見ていたと思うのですが、昨日そのテレビを見ていて全然そんなふうに思いませんでした。
振り返ってみると、少し前までの僕は妻と一緒に買い物に行く時に
「なぜ、同じところを二度も見に行く…」
「迷ってる時間が無駄じゃないか…」
「買うものは大体決まってるんだから、サッと行ってパッと買えばすぐ終わるじゃないか…」
などと思っていました。
しかし、ある時にふと
(妻は、『買い物大変だ』とか言いながら実は買い物を楽しんでいるんじゃないか??)
と思ったのです。
赤札貼られてて魚が安く買えた、とか、いいもの買えたとか、しまった買っておけばよかったとかってよく言っています。
20円30円の安さを求めるよりも時間の方が大切だって何度言っても、結婚して10年ずーっと変わりません。それでよくケンカもしました。
20円30円のコストダウンを真剣に追求してるのではなく、“楽しんでるんだ”と解釈したときに何か納得できました。
料理や家事も生産性を高めて、時間を短縮して、パッパ、パッパとこなしていくんだ、みたいな感覚とは違うんだと理解しました。
“お得に買えた”とか“いいものを安く買えた”とかって楽しんでるんだって。
スーパーは妻にとって楽しむ場なんだろう、と。
テレビを見ながら、その発見を思い出したので質問をしてみると、自分でも良く分かってないようだけど正解じゃないかとわかりました。
買い物を楽しんでいることに気づいてからは、子どもたちがグズリ出したら、一緒になって「早くしてよ」とか言うんじゃなくて(笑)、妻が買い物を楽しめるようにって、子どもたちをおもちゃコーナーや本屋さんへ連れだしたりして妻が買い物を満喫できるサポートをするようになりました。
時間の無駄じゃないかな??
時間=命ということからするとどうなの??
などと思うこともありましたが、人生死ぬときに
「ああ、いい人生だった」
と思えるのはきっと、「早く買い物済ませてよ」っていがみ合うよりも、ゆったり買い物して楽しんだ方が、そう思えるのかな、などと思った今日この頃です。
どうでもいいような話に聞こえそうですが、僕にとっては10年続いたケンカ・イライラの元がひとつ解消した大きな発見でした(笑)