溢れてしかたなかったあの頃と今

こんばんは。シラです。
今日も真我を開いて毎日を過ごすためにブログを書きます。
お読みくださりありがとうございます。


最近自分の中でのテーマというか、行動リストの〈心がけること〉によく出てくるのが「愛を出す」という言葉です。


いつも直感で書いているのですが、「愛を出す」という言葉がよく出てきます。


それと関連するかどうか分かりませんが(多分関連してると思うのですが)、内観光受を深めたい極めたい、そんな思いが最近あります。


どうしたらもっと深めれるのか…


最近やっているのが「精霊降臨」のワークシート。
これをしてから内観光受をすると全然違います。
「精霊降臨」のワークシートをしてるだけで涙がポロポロこぼれてきます。


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先日の気づきを書きます。


これまで僕は「精霊降臨」のワークシートに「出来事」を書いていました。



「お母さんが必ずご飯の用意をしてくれていた」
「お父さんがナゴヤ球場に野球を見に連れて行ってくれた」
「お父さんが毎朝一緒にマラソン大会の練習で一緒に走ってくれた」
「部活の大会で応援しにきてくれた」
「お母さんはいつも自分のことを後回しで子供達のことばかり優先してくれた」
「こーちゃんのマラソン大会」
「こーちゃんの運動会」
などなど…



これはこれで良かったのですが、先週刈谷のH瀬さんに誘ってもらい参加したZoomでの30分のワーク。
たまたま参加した回が内観光受の回で、精霊降臨→内観光受という内容でした。


「精霊降臨」のワークの説明の時に、


「真我が開いた瞬間、その時かけてもらった言葉や出来事を書き出してください…」


記憶ベースなので誤ってるかもしれませんが確かこのような説明ありました。そして、


「ああ、そうか!その時のかけてもらった言葉、会話を書き出してみよう」


「あんたは食べるとか食べないとか何にも言わないから…
ご飯は大事だと思ってそれだけはあんたたちにちゃんとしようと思ってやってたんだよ」


「お前は本当に嬉しそうにしてたな、お父さんも嬉しかったよ。お前のあんな嬉しそうな顔」


「がんばれ〜、あとちょっと最後までがんばれ〜!」


ここまでちゃんとは書きませんでしたが、そんな会話を再現しながらガーっとポイントの言葉をかいだしたところ、より真我が開いた瞬間をリアルに感じ、、


これがもう真我開発講座状態になりました。
全然違いました。


・・・・・・


僕は真我開発講座を初受講をした時、正確にはその前に参加したサンタ営業のココロ・言葉・行動編セミナーからなのですが、あまりに衝撃的で自分の内側・奥の方からなんかこう溢れて溢れて仕方がありませんでした。


それがいつの頃からか、


「閉じてしまったんじゃないか…」


というように内側・奥の方から溢れ出てくる感覚はなくなってしまいました。
涙が溢れたり感激感動はするけれど、熱い何かが溢れかえることが実は正直いうとありません。


一時期は閉じたと思ったこともありました。


今は、閉じたとかどうかとかじゃなくあの頃熱いものが溢れて溢れてしかたなかったのは事実で、自分の中に佐藤先生が言われる真我は間違いなくある、それは確かだと思っています。


そしてこれはどうなのか全然自分では分かりませんが、あの頃の感覚をもしかしたら自分は握ってしまっているのかもしれません(仮説1)。


またもしかしたら、あの頃は普通のクルマしか乗ったことなかったのにいきなりF1マシンに乗って「なんだこれー」となっていた。それが徐々に乗りこなせるようになり「なんだこれー」がなくなってきたのかもしれません(仮説2)。


もしかしたら本当に一度は開いたけれどそれから及び腰になって踏み込んでいかなかったことで閉じてしまったかもしれません(仮説3)。


どうなのかはまったくもって分かりませんが今はあの頃のように溢れて仕方ない状態になりたいと思い、「もっと愛を出したい」と行動リストの〈心がけること〉に書き続けてるように思います(自己分析)。


ただ間違いないのはそれが原動力となって継続してる(それだけではありませんが)、ことは事実です。


次に佐藤先生に質問する機会の時に質問したいです。
そんな疑問や悩みってありません??