根拠なき目標 経営プログラムから

こんばんは。シラです。
今日も真我に焦点を合わせて毎日を過ごすためにブログを書きます。
お読みくださりありがとうございます。


今日は移動時間に経営プログラムをチョイスしました。

たまに、利益に罪悪感をもっている人がいますが、非常にナンセンスです。

利益に罪悪感を持っていたら、この世の成功者はみんな罪悪人ということになります。そうではなくて、簡単にいうと、売り上げから経費を引くと利益です。

お客様が満足しないと売り上げが上がりません。

経費は無駄なものを省いていく。無駄なものにかけても誰も喜びません。喜ばないことをやるのは、むしろそれが罪悪です。喜ばないものにお金を使っている、時間を使っている。その方が会社に迷惑をかけている。社会に迷惑をかけている。

利益の出るリズムは宇宙のリズム。
お客様に役に立っている売り上げと、無駄をなくした差額が利益です。
こう聞いただけで、利益は絶対おかしくないとわかるでしょ。

その利益を元にして、あなたはますますやる気になり、あなたもあなたの家族も豊かになる。その利益を元にして、さらに研究、勉強することができる。

そして、さらにお客様に還元することができる。
お客様に還元することによって企業が反映すれば、当然税金を持っていかれます。そうすると社会にも貢献していることになります。そういう循環をちゃんと知ってやることが大事なんです。

理念というより、これはどちらかというと目標です。

人間というのは不思議な動物で、目標を持つのと持たないのとでは、えらい差が出てきます。目標がなければ、ふわりふわりと海に流れるコルク栓みたいになってしまいます。目標をきちっと持って、それに向かっていくと、自分の潜在能力、思いも寄らない潜在能力、こんな力があったのかという自分を発見できます。

目標というのは基本的に、自分がやったことないことを目標にするんです。
それだけでは目標とは言いません。やれること、やったことをやるというのは、目標というよりも、過去やったことをもう一回やるだけです。

目標というのは、基本的に根拠はないんです。
根拠はなくていいわけです。

今まで10しかやっていなかったのを15やるというのは、やったことがないことです。15やったことないでしょ。根拠はないわけです。根拠がないところから目標を立てなければダメなんです。
10しかできなければ、15といったときに、差額の5は今まで自分の出したことがない力がです。アイデアが出る。知恵を出すという宣言でもあります。当然今まで10しかやっていなかったので、本当に15やろうとしたら、自分の出したことない力を出さざるを得ません。そうすると自分を発見できるわけです。やればできるんだ、自分にはこんな能力があったんだ、ということがわかってきます。

佐藤康行「究極の経営プログラム」vol.2 より

今日は中1の息子がいる高校の同級生と久しぶりに会って話をしました。

中1の息子は小学校時代運動も勉強も得意ではなく周りの友達たちにも「あいつよりはできる」とみんなに自信を与える存在だったらしい。中学になり定期テストのテスト週間になったときに彼女は息子に勉強のやり方を徹底的に教えた。

僕らの高校は一応市内では一番の進学校で、そんな中でも彼女は可愛い顔して相当賢かった。みんなと同じように楽しく遊んでたはずなのに彼女はテストの成績はいつも上位だった。そんな彼女が熟知してる勉強のコツを息子に伝授したらしい。

そしたら1学期中間テスト→期末テスト→2学期中間テストとみるみる成績が伸びて、面白いことを言う以外取り柄のなかった息子が「やればできる」と初めて自信を持てたそう。

彼女のFB投稿で見る彼女の息子の面白いことっていうのは、ぶっ飛んでいて常識の枠では計り知れないすごい才能、発想でそれ自体すごい取り柄だと思う(彼女もその才能は認めてる)けれど、やっぱり中学生なんかだと足が早い、運動ができる、勉強ができる、かっこいい、可愛い、なんてところがまわりの評価であり自分の評価でもあったりする。

賢い彼女のDNAが水をやって芽を出してきたのかな、なんて思ったりもするわけですが、何より彼女の息子が自分に自信を持てるものができたって話がいい話だなぁっと思った。



そんな話を聞いた後に聴いた経営プログラムで、この引用したところがすごくアンテナに引っかかりました。
いろんなところでなんども聴いたことのある話なんだけれど、モロに自分のことを言われている。そう思いました。

利益に対する罪悪感、お金を稼ぐことの罪悪感。昔に比べるとかなりなくなったと思うけれどまだまだある。

目標がないのは海に浮かぶコルク栓、これはまさに自分のことでふわりふわりと漂っている。どこに向かってるのか分からない。これまでの僕は一応は設定した目標をふわりふわりと漂ってたら、偶然たどり着いた。それくらいフワッとしてる。

ガツンときたのが

目標というのは、基本的に根拠はないんです。
根拠はなくていいわけです。

根拠がないところから目標を立てなければダメなんです。

根拠はなくていい、どころか根拠がないところから目標を立てなきゃダメと言われている。
これは過去からの延長線上に目標を設定してはダメだということですよね。根拠があるということは過去からの延長線上、つまりは「今までの自分の実力からするとこれくらい」ということ、さらには今現時点での自分なら「これくらいならやれそうだ」と言う目標。
それでは成長=まだ見ぬ自分の発見がない。

いや、成長=まだ見ぬ自分の発見ではないな…
成長≒まだ見ぬ自分の発見だ。

できない自分が成長してできるようになるんじゃなくって、もともとできる自分がいるのにそれを気づいてないだけ、発見してないだけ。

話がそれましたので戻します。
今日話した高校時代の友人の息子も過去の延長線上に目標を置いていたらきっとそんなに変わらない結果だったと思う。
無意識かもしれないが息子の母親である友人が過去の延長線上ではなく、根拠なく目標設定してそれを実現させたんじゃないかなと思いました。いや、きっと彼女は無意識的に息子はできると思ってたな。

そして息子はそれまでに気づかなかった自分自身を発見して自信になった。


「自信は何か外からつけるもんじゃない。
自分の中にあるすごい力を認めたら認めた分だけ湧き出てくる」


いつの間にか最近の自分は根拠を元に(といっても以前と比べれば根拠がなくなってるとは思いますがそれでもまだまだ)未来を描いてたように思いました。

根拠なくいくにはそう、きっと高次元手帳をもっと使っていくことなんだとうな〜。




また話が飛んでしまいますが、息子こーちゃんが保育園時代、まだ転んでばかりでやっと走ることができる(彼のレベルの中での走る)といった頃に、運動会が近づいてきた時になんの根拠もなく


「かっかん(こーちゃん)、いちばんになゆ(なる)!!」


滑舌の悪い息子が放った言葉が今でも頭の中で響くのですが、ルフィーが海賊王になるが如く宣言して、毎日走る練習してたのを思い出しました。こーちゃんは今の自分がどうかなど関係なく運動会のかけっこで一番になりたい、一番になることを信じて疑わなかったんだと思います。一番になれる根拠なんて全くない。それでいいんだ。

失敗したらカッコわるい。
できなかったらどうしよう。
無理はしたくない。

そんなセイフティーネットはいらない。
思い出しました。
いつの間にか忘れてたなぁ、、、






今日このブログを書くにあたって、経営プログラムの抜粋、どこで切ろうかすごく悩みました。全然途切れないんです。教科書で言うならばテストに出るポイントがどんどん続く。
精読して改めて思いました。

「経費の無駄をなくす。無駄は誰も喜ばない。誰も喜ばないことをやるのは罪悪」

ところもガツンときて触れたかったけれど、帰宅してゆーちゃんが作ってくれたハイボール飲みながら書いてて(笑)、瞼閉じそうなので今日のところはこの辺で。
おやすみなさい!