妻が変わった?妻を捉える僕が変わった?

おはようございます。シラです。1歳のゆーちゃんが「パパ~」を連呼します。嬉しくていちいち返事をしています。

今日も真我の追求と仕事の実践に焦点を合わせて毎日を過ごすためにブログを書きます。
お読みくださりありがとうございます。

鏡の法則①

あなたが鏡の前に立つと、鏡はあなたをそのまま映してくれる。
顔は鏡が映してくれるから、汚れていたら鏡を見たら気づくことができる。
しかし、こころはどうだろう?
あなたが見ている世界、つまりあなたの目の前に展開される現象面こそ、実はあなたの心を忠実に映してくれる鏡なのである。
外に起きていることに固定された意味はないのである。
それをどう受け止めているかのあなたの心が意味を決めている。
つまり、外に起きたことで嫌な気持ちになったり、責める気持ちになったら、そう思う自分の心が現象面に鏡のように映し出されたということなのである。
あなたが見ている世界は、あなたの心の反映に過ぎないのである。

佐藤康行「図解神のメッセージ2」34頁

今日は最近の妻との関係を書きます。
今までとちょっとちがうぞと感じました。

次の週末、佐藤先生の講座を受講するのですが、土曜日は妻も仕事の日で子どもたちの世話をどうするか?という課題があります。
また、そうやって週末土日ともYSのセミナーで家に居ない予定でありながら昨夜はTさんのフォロー勉強会に参加をしました。

夜家に帰ってるときに、妻から電話がありました。
今までの過去の記憶・経験からするとあまりいい電話ではないタイミングです。
今までだとヤバいパターン。

電話に出ると自動車保険の手続きをしてて分からないことがあるから電話した、と。

そのまま、妻の話が続きます。
「夕ご飯は鶏肉を蒸してどうのこうの・・・
ゆーちゃんは炊き込みご飯をたくさん食べてどうのこうの・・・

それで、ご飯食べ終わってすぐにゆーちゃんがうんちしちゃって、皿洗ってて、お風呂の準備もしててって忙しかったけど、あの子最近すごく動くから漏れちゃうと思って、あわててオムツを換えにいって・・・

こーちゃんが突然怒りだして、涙流しながら
『ゆーちゃんなんか出て行け!』
『ママはボクのことなんかどうでもいいんだ!!』
とかってクッションを蹴りまっくって・・・

(はい。大変だったね…。)

“私はこんなに大変なんだ、がんばってるんだ”
を分かって欲しい認めてほしい、そういうことだと思ってウンウンと話を聞いていると、今まで話の展開がちがいました。

「ゆーちゃんが動き回ってオムツを全然換えれなくて、私がキーってなってたら、こーちゃんが『ゆーちゃん、こっちだよ~。こっちきてネンネ』って言ってくれて、そしたらゆーちゃんがすスッと寝っ転がってね~

『こーちゃん、ありがとう!ママ助かった』ってお礼言ってお風呂入って、いつもならすぐに『出る』って言うのに私が洗ってる間ゆーちゃんと遊んで見ててくれたから、しっかり洗えたし、

あの子本読みの宿題やってなくて、いつもなら眠たいから怒りまくってしっかりやれないのに、お風呂出たら自分で教科書出して本読み始めて・・・

寝る時も『ゆーちゃん、寝るよ~』って連れてってくれたり、びっくりした」

という展開に。大変だった話は前菜で、メインディッシュは“こーちゃんがすごかった”という話でした。

「“褒めて伸ばす”ってこういうことだね」

とフィードバックをしたら

「あーーー、こういうことかーー」

と何か気づいたようでした。“褒める”も“叱る”もどちらもこういう行動をして欲しい、こういう行動はして欲しくないということを相手に伝えるためで、それをその通りにやったときに褒めるのかやらなかったときに叱るのかの違いだよね。
で、褒めるだと上から目線な感じがするけど、「ありがとね」「助かった」って感謝されたら言われた方も嬉しいよね。

褒める叱るだと褒めてくれるからやるとか、叱られるからやらない、となっていくかもしれないし、それがもっといくと、褒めてくれる人が見てないからしないとか叱る人が見てないからいいや、つまりは「親や先生が見てないから関係ないや」ってなるよね。
判断の基準が親や先生、つまりは他者。

だけどそうはなって欲しくない。

難しいしまだよく分かんないけど、“感謝を伝える”ってのは上から目線ではない相手を対等に捉えてると思うのね。判断基準が他者になるか自分になるかはまだよくわからないけど…。

そんなような話をしました。

長々と書きましたが結論は妻はごきげんでした。

そして今朝、こーちゃんの土曜日の件をまだクリアしてないことを思い出しこーちゃんに話しました。

「え?意味わかんないんですけど」(←先日泊まりにきた小6の姪っ子がよく言っていたことば 苦笑)

そのことを妻に話したらケンカになりました。

「結局、私がなんとかしなきゃいけないじゃんか!」

「だいたいツメが甘いんだ」

「それに日曜日しか休みがないのに、私一人で二人を見ながら掃除もやって買い物も行ってシューズも洗ってってやるんでしょ!」

「ちがう小学校にいきなり丸一日も預けられる、あの子の気持ちを考えてあげてよ!」

「自分でちゃんと手配してよ!わたし何もしないからね!!」

まあたくさん出てきました。途中“かかりそう”になったけれど、光のボックスを置いて対処。

「あ~、そうだったんだね」

「あ~、そうやって考えてたんだね」

前みたいに話をシャットアウトすることはしませんでした。
全部出し切って、じゃあどうする?という建設的な話し合いができました。

余談ですが、妻とケンカをしてぶつけてくるゴミを受けながら、妻の母親とそっくりだと感じました。全部自分で背負いこんで、“わたしは大変だ”と主張するところ。
そういうことを教えられて育ったわけではないのに、しっかり受け継いでいる。
「三つ子の魂百まで」
「潜在意識は何一つ忘れてない」
と言いますが、しっかり刻み込まれるんだ。

あんなにケンカして出て行ったのに、
「Rくん、土曜日児童クラブだって!ひとりじゃなくてよかった!!」
と嬉しさを隠してまだ怒ってるフリして電話してきました。
児童クラブ組のママたちに土曜日行きますか?とLINEしたようです。
「私なにもしないから!!」
って言いながら妻は動いてる。

「ありがとね」

と伝えました。

これは僕の主観で書いていますが、昨日今日のあったことを書きました。
リライトに書いた“鏡の法則”でいうところの僕の心が変化して、僕が捉える目の前の現象が変わったということでしょうか。