個としての自分の出発点に思いを馳せる

おはようございます。シラです。
今日も真我の実践に焦点を合わせて毎日を過ごすためにブログを書きます。
お読みくださりありがとうございます。

実践プログラムvol.12を聴いて、「毎日朝晩vol.1から聴いていこう」と決めて昨日からスタートしましたが、やはり決めるということは大事でした。

昨晩帰宅して眠たくて寝てしまうところでしたが、「あ!そうだった…」と思い出して、眠たかったけれど(決めちゃったんだった…)と寝るのを踏みとどまり、vol.2を聴きました。
そして今朝もvol.3を聴きました。

聞き流すのではなく、マニュアル見ながら集中して聴いてます。

昨日はvol.1を聴いて当時はスルーしていた気づきがたくさんあったと書きましたが、昨晩と今朝はその逆でした。当時は気づかなかった「?」がたくさん。わからなくていい、ということなので聴き続けようと思います。

思わぬ副次効果ですが、vol.1から聴き返すことで今年1年をダイジェストで振り返れています。次の1年をどうしたいかを思いめぐらす上での基礎工事、下準備のような感じになってます。

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昨晩、帰宅して眠たくねもう寝ようと思った時に「あ!」となってvol.2を聴こうと準備をしてるときに、時計を見たらすでに日付が変わってて誕生日になってました。

あなたは自分が生まれるとき、両親やおじいちゃんおばあちゃんがどんなふうだったか思い巡らせたことありますか?

この前新幹線で富士山を見て幼少期を過ごしたことを思い出したからか、日付が変わって自分の誕生日に気づいたときに、43年前の自分が生まれた時のことに僕は初めてふっとですが思いが及びました。

自分の息子、娘が生まれた時の喜び、幸せ、幸福感、(そして僕はこの子を守ってやれるのか…という不安も正直ありました←書いてわかったけれどこれも愛ですね)

お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、、

あの時僕が感じた気持ちを感じたんだな

と感じたとき、何もできない生まれたばかりの赤ん坊の自分がお父さんお母さんおじいちゃんおばあちゃんをとんでもなく喜ばせることができたんだ

とびっきり喜んでくれて

とびっきり喜ばせることができた

そんな瞬間があったんだなと思ったら泣けちゃいました。

これってきっとgive=takeだろうなと。
いるだけでありがとう。
生きてるだけでありがとう。
そのまま、ありのままにありがとう。

そんなことを思いました。

こんなことをダイレクトに感じれたのも、こーちゃん、ゆーちゃんが生まれてきてくれたおかげってことも気づきました。