こんにちは。シラです。
今日も真我の追求に焦点を合わせて毎日を過ごすためにブログを書きます。
お読みくださりありがとうございます。
今朝のすごい1分間のことを書きます。
昨日、毎朝の笑顔の筋トレで最高の笑顔が出せたわけですが、今朝はその記録を更新しました(点数化してるわけではありませんが…)。
今朝は意図して鏡の自分とペアワーク「バックモチベーション自分 愛と感謝の海」をやろうと、笑顔の筋トレで鏡の自分に向かって笑顔をしているときに鏡の自分に向かって愛と感謝の言葉を呟きました。
先日のココロ編の時に出てきて一番グッときた言葉。
「あのとき死ななくて本当にありがとう。よくがんばったね」
僕が人生最高に落ち込んだときの始まった日が、今のマンションを買い引越しをした日の夜でした。台風が近づいてきていて荷物を運び終えた昼には雨が降りだし片づけをしている夜には上陸し、雨と風が窓を叩きつける嵐のような晩でした。
息子には、これから先の小学校・中学校で他の子以上に周りの支えと理解のある環境を用意してあげたくて引越しを考えていました。どうしようかねと妻と話し合っている頃にちょうど見つけたマンションの購入を決めて、資金のことやリフォームのこと、1つ1つああでもないこうでもないとやっているときに、
僕の仕事が1年後には、それまでのように続けれないということが分かりました。
続けれないことがわかっても、それを僕は妻に言うことができませんでした。
キッチンをどうしようとか、ここはぶち抜いてウォークインのクローゼットにしたほうが使いやすそうだねとか、忙しい中準備を進めている妻にどうしても言えず、どんどん八方塞がりになっていきました。
どんどん計画は進み、月日は経ち、仕事の方は、近い将来事務所は閉鎖、それまでと同じ仕事をしていたら収入が激減することが明確になっていきました。ずっとそのことを言えず結局、引越しを終えて少し部屋が片付いた、その日の夜、息子が寝静まったあとに妻に伝えました。
台風が直撃し、まだカーテンも取り付けていない広いリビング全面にひろがったガラスに横殴りの雨が機関銃のようにあたっていました。
やれやれやっと大仕事を終えたねという安堵感と、さあこれから新しい生活がはじまるねという期待感と、台風無事に通り過ぎてくれるかなという少しの心配。そんな妻は僕からそんなことを告げられ、大泣きをしました。当たり前ですが。
翌日から、妻も僕も仕事や息子の世話をしながら、それまで住んでいた家の退去や様々な住所変更手続き、荷ほどきした荷物の整理とやらなきゃいけないことは山積みですが、妻は一晩寝たらもう、どうすれば乗り越えられるか?と前を向いていました。強い妻です。
一方僕は、申し訳ない気持ちでいっぱいなのと、妻や息子を幸せにできない、幸せにできないどころかお荷物でしかない、いない方がましだろう、とそんなことをずっと考えていました。
仕事柄、生命保険にはしっかり入っている。
自分の生命保険が自死しても保険金支払いの条件を満たしていることも知っている。
住宅ローンを全部返して、妻の希望だった戸建ての家をもう1つ建てれるくらいは妻と息子に遺してあげれるだろう。
そんなことを考えてました。
引っ越してきたこの家はマンションの最上階です。
ああ、飛び降りたらちゃんと死ねるように一番高い階を買ったのかもしれないな…。
ちゃんと死ねるように最上階なんだ…。
なんとか乗り越えようと頑張る妻を見ると余計に申し訳なくて情けなくてそんなことばかり思っていました。
わざわざ高いところに上らなくても住んでるところですから、家に居る時はいつでもやれたわけです。
年が明けて事務所を引き去り、籍はそれまで所属していた会社にありましたが離籍する日が決まり、やることがなくなり行く場所がなくなりました。家に引きこもりました。息子の保育園の送り迎えだけのためにスーツに着替える、そんなエアー出勤する毎日が1カ月続き、人生をどうしようか考える日々。
そんな折に以前の先輩が「シラちゃん、よかったらうちにおいでよ」と声をかけてくれました。
それが今の支社長なわけですが、(もうこの業界の仕事は自分にはムリだし成功できない。これ以上妻や息子を不幸にするわけにはいかないから続ける気はないけれど、1か月後には書類上も無職になってしまうし、腰かけさせてもらってこれからの進路をじっくり考えよう)そんなことを思い、ありがたく移籍させてもらいました。
息子の付き添いでしょっちゅう病院へ行っていたわけですが、(これから将来どんどん仕事は変わっていくだろうけれど、人間が生きている限り医療の仕事はきっとなくならない。医者になるには時間もお金もかかるけど、看護師ならどうだ。息子のような子どもたちの役に立てる作業療法士や言語聴覚士もいいな)と
医療職のことを調べるために資料を取り寄せたり妻の親友で看護学校で進路指導をしている子に事情を打ち明けて相談に乗ってもらったりもしました。
仕事しながら勉強をして看護師になろう。
いつでも飛び降りることはできるけど、もうちょっとやってみよう。
そんなふうに考えるようになりました。
腰掛のつもりで移籍した今の会社、社長や常務、死者のみんな、いい人ばかりなんです。そして期待してくれてます。
腰かけてる間だけでも期待に応えたい。辛くなってからずっと聴いていなかった究極の営業プログラムをまた聴いてみようと思いました。
そしてTさんにアポを取り、「また勉強会に参加させてください」と伝えに行きました。
Tさんは「いつでも待ってるよ」ということと「佐藤先生が名古屋に来て講演会があるから参加してみたら?」ということを言ってくれました。
お察しの通りそれから人生が大きく変わっていくのですが、あの時には自分にこんな人生が待っていたなんて1mmも想像できなかった。実際そんな人生が待っていました。
だから僕は鏡の向こうの僕に
「あのとき死ななくて本当にありがとう。よくがんばったね」
そう言いました。
そうしたら
僕がお父さんで、鏡に映っている息子にも言ってました。
「あのとき死ななくてありがとう。よくがんばったね」
僕はお母さんにもなっていました。
鏡に映っている息子である僕に言ってました。
「あのとき死ななくてありがとう。よくがんばったね」
僕は僕になっていました。
鏡に映っている僕は息子であるこーちゃんに言ってました。
「本当によくがんばったね。ありがとう」
妻のお父さんお母さんになって鏡に映る子どもである妻に言ってました。
「本当によくがんばったね。ありがとう」
ハッと営業のトレーニングであることを思い出しました。
鏡に映っているのはお客様。僕はそのお客様のお父さんお母さん。
「本当によくがんばったね。ありがとう」
実際の営業で出会うお客様。そのお客様にもオギャーっと生まれてから今までの人生があって、楽しいこと嬉しいこと悲しいこと辛いこといろいろあって今この瞬間僕の目の前にいる。
そしてそのお客様にも必ずお父さんとお母さんがいる。
そのお父さんお母さんが子どもに向かって
「本当にによくがんばったね。ありがとう」
こうして書いているとまるで未来内観のようですが、パパパパパパーーーっとそんな感じで展開して、鏡に映る僕の笑顔は過去最高を更新した昨日の笑顔からまたさらに比べ物にならないくらい、いい笑顔でした。
先週のTさんとの対話で気づいたこと、週末の行動編、ココロ編のこといろいろ書きたいことが山積みなのに、今朝の1分間の出来事でこんなに書けてしまいまいました 汗。
鏡を使って一人で未来内観、遺影のワーク、愛と感謝の海できるんじゃね?っと思ってしまいました。
長文お読みいただきありがとうございます。