お手上げ、降参

こんばんは。シラです。
今日も真我を開いて毎日を過ごすためにブログを書きます。
お読みくださりありがとうございます。


今日は「天命の発見」を自宅でweb受講しました。
途中から子供たちが帰ってきてわちゃわちゃな感じになり集中できなくなってしまったのですが、集中できなかったことを子供たちのせいにしてた自分に今になって気付いてます。


途中までしか集中して受講できず、正直中途半端な感じがしてたのですが
受講ご家族と過ごしてて「あれ?」って感じです。


いつも以上に妻の話を聞けるし子供たちの愛の叫びを受け止めてます。
結局自分次第なんだと思いました。


「天命の発見」で出てきた中で


雲も雨もすべて太陽の仕業。


それと同じようにいろんな問題もすべて真我の仕業。


そう思わなくても言い切る。
神の愛だとあなたが捉えきれていなかっただけ。


これが無茶苦茶刺さりました。


すべて自分のレベル、価値基準で判断していい悪いみたいなことを判断していたけれど、そうじゃなかった。だけどとてもとても目の前にそれが現れてすぐに「神の愛だ」なんて捉えきれない。


だけど後から振り返ってみるとそうじゃなかった。


そこで、その時はとてもそうは思えなくても、「そうだ」と言い切る。


これを日常やっていこうと思いました。
すべて完全で完璧。
そのいったんがチラリと見えたような気がします。


僕がそう思おうが思えなかろうが関係なく、全ては完全で完璧で。神の愛そのもので。
ただただ僕がそれを捉えきれてないだけなんだ。


だから僕がどう捉えようが関係なく、全ては吉報で完璧で完全で神の愛だというのを言い切ってみようと思いました。


その後出てきた「満月吉報ワーク」を日常でやる、と言うことですね。


そんな感じでweb講座を受講し終えて、正直「やっぱりwebよりリアルがいいなああ」と思うような感じで仕事部屋のドアを開け日常に戻ったのですが、日常の家族の反応がいつもとちょっと違うことに「あれ?」と思う今日この頃です。


頭で思おうとするのではなく、自然と起こる出来事すべてが吉報で完全完璧であるように思えてる。


結局、天命かどうかは分かりませんが、今僕の周りにいる人、これから出会う人を元気にする。愛の発見、感謝を発見をしてそれを伝えよう、と思いました。


最近思うことは、


自分の頭で理解できるところはこれっぽっちで、それ以上のところはよくわからないけれど受け入れる。


そんな感じが今日もまたしています。


星を顕微鏡で見る。
僕のレベルではここまでしかわからない。
そんなお手上げな感じです。