こんばんは。シラです。
今日も真我を開いて毎日を過ごすためにブログを書きます。
お読みくださりありがとうございます。
今日昼に前の会社の人たちがランチ送別会をしてくれました。
コロナ禍に退職したので申し訳ないけど会社として正式な送別会はやらない、とweb会議上で退職の挨拶をして終わってたのですが
数人のメンバーが企画して在職時によく行っていたお寿司屋さんで送別会をしてくれました。
僕以外のメンバーは同僚のはずなのに会社がずっとweb会議のようでみんなでリアルで集まるのは久しぶりだったようです。
そして送別会の話題の大半が愚痴、不平、不満でした(苦笑)
僕の近況の話ではなく(笑)
みんなの不平不満大会を見ながら、一人
「2ヶ月前まで自分もこうだったんだ…」
「もう遠い昔のようだ…」
「嫁さんが、『最近ずっと笑ってる、楽しそうにしてるの気づいてる?』って言ってたのってこういう事だったんだ…」
そう感じながらずっと黙って聞いてたけれど思わず言ってしまいました。
「だけど今まだ会社にいるってことは、結局なんだかんだ言って会社のことを好きだからだよね??」
たくさん反論を浴びたけれど、そうだと思いました。
そして、
「仕事の中に人生を入れるのか?、人生の中に仕事を入れるのか?」
「一日一日、毎日の積み重ねが人生」
という言葉が浮かんできました。
ランチ送別会もお開きになり、今の会社のオフィスに戻り、夕方までデスクワークをしました。何人かの人と雑談をして、すでにもうこっちの方がしっくりきてる自分に気づきました。
たった2ヶ月、されど2ヶ月…
前の会社にいたのがほんとにものすごく遠い昔のように感じました。
夕方から他県のアポイントのために高速を飛ばし、アポを終えてそのまま直帰しようか?それともオフィスに寄って書類を出して帰ろうか?
時間も遅かったけれどオフィスに寄ると同じチームメンバーの一人が仕事してました。
「あ!お帰りなさい!」
そこからなんとなく雑談しながらのデスクワーク。今日の出来事や僕がどんないきさつでこの会社に来たのか、みたいなことをいろいろ質問され話を聞いてもらいました。
彼はとても優秀な営業マンで気持ちよく話をさせてもらいました(笑)
そんな中から、なぜ僕が前の会社を辞め会社を移ったのか?どんなことをやりたいのか?というなかなか本質的なところの話にテーマがいき、素のままありのまま喋ると、
「その話、支社長知ってます??それいけますよ!ってか、それぜひやりましょうよ!!うわー!なんか道が開けた気がする、なるほどねーー。すごいですね、それ。ワクワクしますね!」
と。
僕がやろうとしていることを話して身近にそれを実現できる(だろう)協力者がいる事に最近気づいた話をしたら、優秀なその彼は大興奮でそんなふうに言ってくれました。
と言うか直感でわかったんだろうと思います。
これに気づいたとき、もしこれが実現してうまくハマったらすごい事になる…とビビビと来たのですが同じように感じたようです。
そのとき僕は思いました。
あああ、身近にこういうふうに話が通じる仲間がいる、本当にありがたい!
どうしていったらいいか入社2ヶ月の僕には見えない社内政治的な所(がもしあれば)をきっと協力をしてくれる。
っていうかすごい前のめりになってくれてる。
なんていうか、話をわかってくれる人がいるっていうことにとても喜びを感じました。
・・・・・・
今日の一連のできごとを通して。
松尾芭蕉がいう「月日は 百代の過客にして行き交う人もまた旅人なり」という言葉が不意に浮かんできました。
意味は違うかもしれないけれど、自分も含めてみんな旅人で出会っては別れる、みたいな意味でこの句が浮かんできました。
それぞれの人生の旅の中で出会ったり交わったり別れたり。
今出会ってる人って今の自分に必要だから現れてきてくれてる、そんな気がしてます。自分にとって必要であり、その逆の相手にとっても自分が必要だから出会ってたりするのかな。
一つの区切りというか、区切りの再確認をした1日でした。