街で悟る、実験→検証

おはようございます。シラです。昨日FBでたくさんの方から反応がありとても嬉しいです。ありがとうございます<( _ _ )>

今日も真我の追求と仕事の実践に焦点を合わせて毎日を過ごすためにブログを書きます。お読みくださりありがとうございます。

今日もパッと手に取った本のパッと開いたところをリライトします。

31 手放す

よく、執着を手放せというが、そう簡単に手放せるものではない。
強引に手放そうとすると、同時に大きな抵抗が生まれ、より執着してしまうのだ。
そうではなく、執着して握っているモノよりも、もっと価値のあるものを発見できたら、自然と握っていたものを手放せるのである。
モノやお金にどれだけ執着したところで、自分の命には代えられない。
人が、命そのものでもある『真我』に目覚める時、その大いなる愛そのものの喜びの体験をし、「お金も物もプライドも、全て真我の代替品を追い求めていたに過ぎなかった」ということに気づき、執着していたものを自然に手放せるのである。

佐藤康行「図解 神のメッセージ2」82頁

執着…。なかなか手放せない、手放すのが怖い、いろいろ思いが湧き上がってくるのですが、より価値のあるものを見つければいいんだ!と気づきました。

これは自分が何に価値を置いているかを測ることもできるし、また営業の現場での付加価値を乗せていき天秤をカタンとさせることにも通じる話だと思いました。

昨日はHヱさんの瞑想に行きました。マンツーマンでの瞑想でした。瞑想で心が軽くなるとかはありましたが、昨日はマッサージをしてもらったように身体がほぐれた感じがしました。びっくり。

最後、お茶をしながらHヱさんとお話をしてる時が圧巻でした。ある意味プロカンであり、ある意味“真我瞑想”という商品サービスを通じて相手に相手を売る究極の営業でした(“゚д゚)

その話の中での気づきです。

小聖は山で悟り、大聖は街で悟る。本当の自分に目覚めて、本当の自分で生ききる。営業の世界、生々しい三次元の世界でこれをやる。
究極の営業プログラムであり、真我の実践であると思うのですが、これについてなるほどと思うことがありました。

Hヱさんが言っていました。

「仕事や毎日の生活をしながら『真我の実践』を唱えることで変化を発見できる。何にもしないでただ唱えているだけじゃ発見できないと私は思いますよ」

ああ、これ保険のN川さんと一緒だ、そう思いました。

N川さんも実践(実験?)→検証をしていると思うのです。例えば、一歩歩くごとに「ありがとう、ありがとう」と唱えるとどうなるのだろう??これを仮説を立てて検証したことを少し前にフェイスブックに上げていました。
きっと営業プログラムでも、このワークをやったらどんな変化があるんだろう??って、ワークをやって、実際に営業現場でやって検証をする、そんなことをやっているんじゃないかと思うのです。

これって面白そう!

前にもMくんがこのことを言ってましたが、やっとわかりました。

そこには失敗はないし、確実に体現し体得していけるように思います。(ああ、こんな変化があった)、(ああ、こういうふうに変化があるんだ)、(こんなことに気づいた)、という感じに、気負わず軽やかにやれる気がするのです。

これ僕もやっていこう!と思いました。実験→検証。

よくユーチューブやブログなんかで「〇〇をやってみた」という記事や投稿がありますが、そんな感じで楽しくやれそう。そうすればこのブログのネタも増えますしね(笑)

いつもHヱさんとお会いすると、

(この確信の深さは何なんだ…)

と思うのですが、昨日お話をしているときにHヱさんが

「私の残りの人生、真我さん、あなたに全て捧げます、私はそう誓ってるんです」

と言っていました。失礼な話でもありますが、そのときの僕は70代半のHヱさんよりおそらく僕の方が長く生きるであろうし、Hヱさんは僕よりも長い人生ずっと生きてこられて、子育ても終えて、いろいろなことをやり遂げてきて今、思いっきり好きなことに夢中になってるんだな…いいなあ…なんて思ったのですが、

今朝そのことを思い返していて、「待てよ、勝手にHヱさんより僕の方が長生きをするって思ってたけど、わかんないぞ。いやいや、それよりも『今日が人生最期の日』って真剣に思ったら、いつか自分も…なんてことにはならない。ああ、まだまだ真剣じゃないんだな、それを教えてくれたんだな…と、そう受け止めました。

とにかく濃い時間でした。

今朝、妻と電話で話をしてて妻の親しい人の家庭問題の話がありました。奥さんの実家で親と同居してる旦那さんが家を出て行ってしまい、話し合いがもたれて揉めに揉めている、という話でした。きっかけやいきさつをいろいろと教えてくれたのですが、

「へえ、『そんなくだらないきっかけで』とかって余計に揉めてるんだ。『くだらない』って当事者たちは思っているのかもしれないけれど、すごくない?それだけ旦那さんは奥さんの実家に対して思いがあったんじゃないの?その実家の両親にちてみたら嬉しいことじゃん。そんなに思っててくれたなんて」

「ああ、きっとその実家のお母さんも娘家族に対して思いがあって、一生懸命やってたんだもんね。もしかしたらそれに対して『ありがとね』って一言が欲しいのかもね。お母さんの“分かって欲しい・認めてほしい”を満たせればいいのかもね」

「過去何年間か、ずーっと溜めてきた気持ちを旦那さんや奥さんやお母さん、みんな爆発できたんだね。もっと溜めてたらその間ずっとみんな嫌だろうし、そういう意味で良かったよね」

というような主旨のことを伝えたら、妻は

「ああ、そのお母さんが私こんなにあなたたちの事を思って頑張ってるのに“わかってくれない”“認めてくれない”って怒ってるんだ、ほんとだね。あ!奥さんもだし、旦那さんもじゃないの?)

みたいなことを言い出しました。

「そのとおり!!」
(※妻は佐藤先生を知らないのでウケません(>_<))

妻も人のことだとわかるようです。自分のことになると…。みんなそうですね…。

話を戻し、今日からちょうど9月。仕事や毎日の生活の中で「〇〇やってみた」というノリで楽しみながら真我の追求、仕事の実践やっていこうと思います♪
「〇〇やってみた」の、気づきや発見、ブログにも書こうと思います。