250人の法則とバックモチベーションのワークとすべてよきこと

おはようございます。シラです。久しぶりに週末に何も予定を入れませんでした。いつもなら仕事のことが気になって休みを十分に楽しめなかったりするのですが、せっかく土日2日とも何も予定がないのだから、目の前のことに集中しようと思い、息子と本を読んだりゲームを楽しんだり娘と遊んだりしました。

息子はとても楽しかったようで、その表情を見た僕もとても嬉しくなりました。

やっぱり子どもからもらうこと、得ることがたくさんあります。

今日も真我の追求と仕事の実践に焦点を合わせて毎日を過ごすためにブログを書きます。お読みくださりありがとうございます。

4.一人のお客様の後には、250人の見込み客がいる

アメリカに世界で一番車を売るセールスマンで、ギネスブックにも乗ったことがあるジョー・ジェラードという方がいました。

その方の宣伝力には凄まじいものがありました。彼はいつも名刺をバグの中に最低500枚から1000枚持って歩いていました。そして、一日1000枚くらいの名刺を使うこともざらにあったといいます。

では、彼はいったいどんなふうにして名刺を使っていたのでしょうか?彼は、とにかくどこに行っても名刺を出しました。床屋に行っても、道ですれ違う人に道を聞いても必ず名刺を出しました。フットボールの試合があれば、紙袋いっぱいに自分の名刺を詰め込んでいき、歓声が上がった時にその名刺をスタンドにばらまきました。

彼はそのことについてこう言いました。『それはただスタンドを汚しているだけだ』と人は言うかもしれない。

しかしその中のたった一枚であったとしても私の名刺を拾ってくれて、電話をしてくれる人もいるんだ。とにかく私は宣伝マンに徹しているんだ。私はあらゆるところで名刺を配って、会う人すべてに販売のチャンスを狙っているんだ」と。

ポイント 一人のお客様を怒らせたら、250人を怒らせたことになる。一人のお客様を満足させられたら、250人を満足させたことになる。

彼は“250人の法則”を唱えていました。「一人のお客様の後に250人の人がいると思いなさい。一人の人が死んだら、お葬式に来る人、弔電を打つ人、関係者など合わせて大体250人いる。だから、一人のお客様を怒らせたら、250人怒らせたと思いなさい。

一人のお客様を満足させられたら、250人のお客様を満足させられたと思いなさい』ですから、彼は一人一人のお客様も大変大事にしていました。

また、彼はお客様を紹介してもらったら、必ず何ドルかをお礼に差し上げるようにしていました。これはアメリカ社会独特のものかもしれませんが、彼は必ずお礼にお金を渡していました。「どんな金持ちでも、お礼にお金を渡して、それを拒んだ人はいない」と彼は言っていました。

そのようにして、彼はどんどん紹介をもらい、どんどん見込み客も発見し、そして、一人一人のお客様を大事にし、彼は一日に車を4台も5台も売る、ギネスブックに載る世界一のセールスマンになったのです。

彼のマネはなかなかできないかもしれません。しかし、彼の宣伝の能力、多くの人に自分の車を知ってもらうための迫力、これは大いに学ぶところがあると思います。

佐藤康行「究極の営業プログラム」より

リライトしての気づきをメモします。

「紹介のお礼に何ドルかを差し上げる、どんなお金持ちでもお礼を渡して拒んだ人はいない」日本での保険の営業では紹介のお礼にお金をわたすことはできません。なので僕はアメリカだからできるんだ、とスルーしていました。

しかし、どんなお金持ちでも拒んだ人はいない、これはお金が欲しいんじゃない、お金が嬉しいんじゃない。“見込み客を紹介してくれてありがとう”という感謝を差し出されているので、拒むことなくみんな受け取るんだ。そう思いました。

お金を渡すことはできないけれど、感謝を伝えることは十分できます。「シラさんに相談するといいよ」と宣伝をしてくれた方、紹介をしてくれた方にもっともっと感謝を伝えよう、そう思いました。

ジョー・ジェラードの250人の法則。

バックモチベーションのワークをやると、ものすごくたくさんの人の名前が出てきます。時間さえあれば250人を超すと思います。とにかくたくさんの人たちがいてくれて今の自分があることに気づかされます。

一時、このバックモチベーションのワークにハマりました。大阪で講座を受講するために前泊した時に、ワークシートを何枚かプリントして2時間くらいバックモチベーションのワークをやってみたことがあります。

「誰のおかげで今があるのか?」

「原点は誰なのか?」

そう自問しながら頭に浮かぶ人の名前をひたすら書いていきます。

今こうして講座を受講できるのはMさんが背中を押してくれたからだな・・

Mさんと出会ったのはTさんがプログラムを紹介してくれたからだな・・

Tさんと出会ったのはMさんがYEGに入ることを奨めてくれたからだな・・

Mさんと出会ったのはKさんが一緒に仕事をするようになったからだな・・

Kさんと一緒に仕事するようになったのはKさんがスカウトしてくれたからだな・・

Kさんがスカウトしてくれて決心したのはYさんのおかげだな・・

Yさんと出会ったのは前々職に入社を決めたからだな、決めたのはOさんのおかげだな・・

Oさんと出会ったのは金融機関を志望したからで、N先生のおかげだな・・

N先生のゼミにはいったのはSさんの影響だな・・

Sさんと出会ったのは大学の番号が1番違いで英語の席が前後でSさんが話しかけてくれたからだな・・N大学に入学したからだ、第一志望落ちたからだ。受験勉強のときYさんが応援してくれてたな・・

Yさんとは部活が同じだったな、陸上部を選んだのはK先生、O先生、N先輩のおかげだな・・

“今”を起点としてドンドン遡ることで、忘れていたたくさんの人が出てきます。そしてその人たちとの出会いのおかげで良くも悪くもいろいろな影響を受けて、僕は道を選択していき今にたどり着きます。

そのどれが欠けても、今の僕にはたどり着きません。ということは、どの出会いも今の僕にたどり着くためには必要ですべて「完璧」だった、「調和」していた。と言えます。

その時その時は、最悪だと思ったり、嫌だと思ったりしたことも、過ぎ去ってしまったあとから思い返すとすべてが「完璧」だった。ということは・・。

出来事に直面しているそのときに“最悪”とか“どん底”としか思えないことも、すべて「完璧」で「調和」している。今ふうにいうならばすべて「まんまる」、すべて「満月」。

出来事に直面しているときは近視眼的になってしまいがちですが、人生単位で俯瞰してとらえる。

講座を受講した時などは、感覚的に“すべてよきこと”を感じることができるのですが、現実社会で日常生活に埋もれていくと、頭ではそう理解できていても感覚的に「もうだめだー」「なんでできないんだー」「最悪だー」と感じてしまい、そちらに引っ張られてしまいます。

もっともっと現実社会の日常生活で“すべてよきこと”を感じながら、生きていきたい。

今日は書いているうちに手が勝手に進んで記事が完成しました。なんかすごい。