こんばんは。シラです。今日も真我の追求と仕事の実践に焦点を合わせて毎日を過ごし、今日一日を振り返るためにブログを書きます。お読みくださりありがとうございます。
人は何らかの価値を感じなければ動きません。何を言っても動かないのなら、それは価値を感じていないんです。価値を感じたら、心が動くはずです。
心が動いているかどうかを見極めるのは難しいけれど、しかし、無心になって打ち込んでいったら分かるものです。段々わかってきます。心が動いた時は、その瞬間にこちらの目を見たり、ニコッとしたり、顔色が変わってきたり、いろんな変化があるはずです。
ですからそれをキャッチするには、自分が無心になってそのことに一生懸命取り組むしかないわけです。
一日でもいいから、そのことだけをやってみたらいいんです。キーワードをいくつか挙げてやってみる。いくら言っても関心を示さないものはやめて、また別のものを出していきながら、人は何に関心を持つかということを探っていくんです。
例えば、営業教材なら営業教材のどこに興味を持つのか。一番興味を持つところを幾つかに絞っていったらいい。そうやってろ過していくんです。それは、実際にやっていかないとわからないです。空理空論じゃ無理なんです。お客様の状況を見ながらやっていくしかないわけ。私も一日やっただけで4つか5つ出てきたんだから。だから、真剣にやっていたらろ過されますよ、ちゃんと。
佐藤康行「究極の営業プログラム」より
本業の保険の仕事ではありませんが、僕もこの通り過ぎていく人に言葉を投げかけて人を動かす、ということを体験したことがあります。
それは所属する商工会議所青年部で地域の2日間の夏祭りに出店をしたときのことです。僕のグループが任された担当がホットドッグでした。なんと、ホットドッグのパンがご発注で予定の倍の数になってしまい、なんとか多くのホットドッグを売らなければならないことになりました。そのことが発覚して、僕は呼び込み担当に回されました。
いろんなセールストークを考えて、大声で呼び込むのですが最初はなかなか売れませんでした。わざわざ和歌山まで備長炭を買いに行き、その備長炭で焼き上げたホットドッグと言うことを売りにしてみましたがダメでした。
これでいけない、といろんなセールストークを投げかけてみました。たくさん投げかけているうちに、目の前を通り過ぎていく人のなかから反応する言葉が絞れてきました。
ビールを持って歩いているお父さんが近づいてきたら…
「ビールのお共に最高、紀州備長炭で焼き上げた美味しいホットドッグはいかがですか~!」
子ども連れの家族が近づいてきたら…
「子どもたち、みんな大好きホットドッグはいかがですか~!」
夕ご飯の時間帯が近づいてきたら…
「お腹がすいたら、ホットドッグ!紀州和歌山の備長炭で焼き上げた最高のホットドッグですよ~!」
通り過ぎようとしていたひとたちが、足を止めて買いに来てくれたり、お母さんが子どもに「ホットドッグ食べる?」って聞いてくれたり。だんだんと的が絞れてきて面白いように売れていくようになったことがありました。
相手の反応を見ていると、僕の投げかけた言葉に明らかに反応して、通り過ぎたのに戻ってきてくれて買ってくれたりと、とても面白かったです。まだ営業プログラムを買う前で、Tさんが無料でやってくれていたサンタ営業基礎編に通っていたころの話です。
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保険営業のN川さんがシェアをしてくれた、「究極の営業プログラム ワークとマニュアルについて」というN川さんが1週間に1ステップ、リライトをしてワークをやった気づき20ステップ分のpdfを読み返しました。
僕もこうしてマニュアルをリライトしているのですが、pdfを読み返してみてN川さんの気づきの凄さと取り組みぶりの凄さを改めて感じました。そこまで徹底して取り組んでいるからこそ、それだけの気づきがあり成果があるんだなと思いました。
究極の営業プログラム、深すぎます。
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さきほど、下の娘の寝かしつけをしました。眠たいのに寝れない、遊びたい、でエンエン泣いている娘を抱っこしながらずっと「真我の実践」を唱えていました。
まだ真我開発講座を受ける前のとき、上の息子の寝かしつけで、あまりに寝なくてずっと泣いていることに、イライラして頭がおかしくなりそうになった経験があります。眠たいなら泣くんじゃなくて、目をつぶって寝ればいいのに・・。そのときはこちらの思い通りならないことにイライラしていたんだと今だから分かります。そのイライラが子どもに伝わって余計にエーンってなって。僕のイライラと子どものイライラが反射して増幅していったのだと思います。
今晩は「真我の実践」を唱えることで目の前の現象面に振り回されることなく、こうして娘を抱っこして感じる成長やぬくもりに感謝が湧いてきたり、エーンってなくその姿をいとおしく思ったり、全く心を乱されることなく、ブレることなくポンポン背中をたたきながら抱っこできました。
最初娘は降りたい、動きたい、で暴れてみたり、思い通りにならないのか眠たいのに寝れないのが不快だという感じで絶叫するように泣いていました。「真我の実践」を唱えながら、相手がゴミ出しをして、そのゴミを「そうね、そうなんだね」と受け止めて流す、プロカンのようにしながら背中をポンポンしてました。
そしたらだんだん、泣く声が小さくなり暴れてたのが僕の肩にからだを預けて眠りはじめました。
そのときに、ハッと気づきがありました。
僕が一切ブレないから、娘が降りたい、動きたいと暴れていたのが眠りになった(娘が変化した)んじゃないか。ここで僕がブレてしまって抱っこを止めて娘と遊び始めてしまったらきっと寝なかっただろう。
どんなに相手が「私はダメなんです」「大変なんです」「苦しいんです」と訴えても佐藤先生は「あなたは素晴らしい」から一切ブレないから、「ダメなんです」「苦しいんです」と訴えている人がブレない佐藤先生の方へ動いていく(変化していく)のではないだろうか。苦しいと訴えていた人が、私は素晴らしいんだって変わっていくのではないだろうか。
こちらがブレなければ、相手が動く。変化していく。
そんな気づきがありました。