こんばんは。シラです。
今日も真我に焦点を合わせて毎日を過ごすためにブログを書きます。
お読みくださりありがとうございます。
今日仕事の諸手続きで60代の未亡人のお客様と面談をしました。
余談でご主人が亡くなられたときのことの話が出てきたのですが、次男の結婚、長男の長男(孫)が生まれたのが同日にあり、その2週間後にあっという間にご主人が亡くなったそうです。
それがちょうど4月で長男の一番上のお姉ちゃん(初孫)の小学校入学式も重なったそうで、出産で出られない長男のお嫁さんの代わりに長男さんと一緒に初孫のお姉ちゃんの入学式に行き、ご主人が亡くなってからも孫の世話に追われて悲しむ暇がなかったそうです。
それに合わせてご主人の父親である義父の介護も同時並行。
目まぐるしい毎日で悲しむ暇が全くなかった。
義父の介護をしてて下の世話など自分の親でもないのに最初は嫌だったけれど、ふと気づいてご主人そっくりの義父の介護。
亡くなったご主人ももし生きてれば将来こうだったかもしれない。
そう思ったら義父に亡くなったご主人の面影を感じて、嫌々だった介護がいつしか献身的になってたそう。
主人にできなかったことをさせてもらえてる。
そう思ったそうです。
そう捉えたら嫌だった介護も幸せに感じ、ご主人がいなくなった寂しさも癒えたそう。
ダブルパンチのネガティブだと思われることが捉え方が変わった時に幸せを感じるまでに変わったそうです。
少しわかるような気がしました。
そしてすごいと思いました。
マイナス×マイナスがプラスになった。
ご主人が元気で義父の介護だけだったら介護に幸せを感じるなんてなかった。ただただ大変だーで終わってた。
岐阜が元気でご主人が亡くなったら寂しさでポッカリ心に穴が空いてたと思う。
どちらもあったおかげでどちらも乗り越えれたと言ってました。
捉え方だろうと思います。
子供たちもやっと一人前になってやれやれって時に主人が亡くなって、なんだったんだろう…って思うこともないことはないけれど、一人ぼっちだけどこうしてこんなに広い家に住まわせてもらって、孫たちの大きくなってくのを見れて幸せだなあって思うよと。そう言ってました。
いろんな経験を経てきた人の言葉は重く感じました。
そして帰りに「ありがとね」と言いながら今日畑で採れた野菜を段ボールいっぱい持たせてくれました(笑)