後からわかる、すべて完璧。裏を返すと…

こんにちは。シラです。
今日も真我の実践に焦点を合わせて毎日を過ごすためにブログを書きます。
お読みくださりありがとうございます。

昨晩、「後からわかる」という体験をしました。
あの時、ちょっとでも違う行動をとっていたらこうはなっていない。
出会いと要因、それぞれの人の判断選択が複雑に絡み合っているのですが、すべてが完璧。完璧なタイミングで判断して、完璧な選択をして、完璧な行動をして、完璧なタイミングで出会って、、

僕一人だけの事柄でなく多くの人が関わっていてすべての人の事柄が、すべてが完璧。

一つでもちがっていたらこうはなってなかった。

一つでもちがっていたら出会ってなかった。

MDさんからある報告をもらって、このことを指摘されて腰を抜かしました。

全部が完璧。

その時その時はまったくわからなかったけれど、後からわかりました。

この腰を抜かす感覚、以前に延々脈々と生命のバトンがつながっていて今自分が生きている、生かされているということを言われて初めて気づいた時と同じ感覚でした。

ただの一回も生命のバトンを落とすことなく延々脈々と続くリレーで、今現在自分が走っている。

自分の前の走者である膨大な数のご先祖様の誰か一人がうっかりバトンを落としてしまっても今の自分がいない。僕が何番目の走者かわからないけれど、前の走者の誰か一人でも「もうダメだ…」と走ることを諦めてしまっていたら今の自分はいない。現代よりも生き延びることが困難だったであろう戦争の頃も、戦国時代も、石器時代も、みんな完走して次の走者にバトンを渡してくれたから今自分が走れている。

「今あるのは誰のおかげか?原点は誰なのか?」

バックモチベーションのワークをやった時も同じ感覚でした。

この人と出会ったからこういう選択をして今こうなっている。
そのとき嫌いだったこの人が、ああいうことを言ったから自分はこういう決断をして今こうしている。
生まれてからとんでもない数の人のおかげで今の自分があって、そのとき好きとか嫌いとか関係なくすべての人のおかげだということがわかった。

そのときは分からなかったけれど、後からわかる。

すべてが完璧だ、後から振り返えってそれがわかった。

裏を返すと、今は分からなくていいということ??

今はわからなくても、すべては完璧だ

ということだけがわかっていればよいのかもしれない。