一生懸命な息子から

こんばんは。シラです。
今日も真我に焦点を合わせて毎日を過ごすためにブログを書きます。
お読みくださりありがとうございます。


昨日、テニススクールのレッスンを見学しながらブログを書いた続きです。振替レッスンで初めてのコーチだったのですが、コーチは息子の障害云々は全く知らずに他のこと同じように接してくれたようで、なかなか厳しいレッスンだったみたいでした。
レッスンを終えた息子が泣きながら戻ってきました。


「くっそーーー、あの先生を見返してやりたい」


他にも色々予定があったのですが隙間時間に公園へ行って自主練をしました。


クタクタなはずなのにずーっとボールを打つ息子。
よっぽど悔しかったみたいです。


夜には地域のお祭りのお囃子の練習に行きました。
昨晩は妻が当番で練習に一緒に参加をしたのですが、正直言って息子は全然うまく吹けていなかったらしいです。


息を吐く微妙な加減と指の動き、どれ一つ取っても息子には難易度の高い動作。同じようにできることを求めるのが酷なくらい難易度高めの課題ですが、妻の話によるといつも指導する先生曰く、こーちゃんは休憩時間になると「吹けるようになりたいから教えてください」と個人レッスンを申し出てるとか。


短くない練習時間、他の子は集中力を切らしてだれてしまうこともよくある話らしいのですが、息子はダレることなく一生懸命練習するばかりか休憩時間も練習をしていると教えてくれたと言ってました。


どんだけ前向きなんだ、、、


教えてくれている先生も息子のひたむきさ加減に休憩時間も忘れて教えてくれてるとのことでした。


その話を聞き、息子が保育園年中さんの時の運動会の時のことを思い出しました。
まだやっと自分で歩けるようになって2年かそこら、走るといってもぎこちないことこの上ないような時。息子は


「かっかん(こーちゃん)、いちばんになる!」


と、まるでルフィーが「俺は海賊王になる!」と言わんばかりに胸を張りながら保育園のお迎えに行くと園庭を一生懸命走っていました。


親バカな僕はその言葉に胸を打たれて朝保育園に行く前に近所のグランドで毎朝一緒に走る練習してました汗


その時のことを思い出して、息子は変わってないなーと思ってちょっと泣けました。


僕はちょっとでも嫌なことがあるとすぐに逃げたくなる。
息子の方がよっぽど立派だと思いました。


そして予定の詰まっていた合間を縫ってテニスの練習をしたのもそう。
休憩時間に練習に付き合ってくれた先生もそう。
朝や夕方運動会の練習に付き合ったのそう。
困難に立ち向かおうとする息子に、何か力になりたい、協力したい、なんとか叶えてあげたい、そう思わせられたのは息子のそういった姿勢からだと思います。


今日の夕方、息子と一緒に下の娘を保育園に迎えに行くのに近所の公園を歩きました。
夏の暑い日には蝉の大合唱がうるさかった公園もすっかり静か。


「蝉の声、もうしないね」


「もう秋だからね」


「こーちゃん、蝉って土から出てきて一週間くらいしか生きられないんだって。知ってた??」


「え?じゃあもう蝉全部死んじゃったのかなあ??」


「もしかしたらそうかもしれないね」


「蝉死んじゃったかあ。ねえパパ。蝉の生きる意味ってなんだろうね」


「こーちゃん、深いこときくね。多分、卵を産んで来年の夏にまた蝉が出てくるために生きるんじゃない?それが蝉の生きる意味かもしれないよ」


「オレの生きる意味は大人になって夢を叶えるため」


「え、そうなの。こーちゃんなんだかすごいね。どんな夢叶えるんだっけ??」


「お寿司屋さんになるってこと」


(そうだった…。2歳か3歳の時に回らない寿司屋に行ってカウンターであまりにもうまそうにマグロを食べる息子を大将がそそのかして以来寿司屋になると言っていて、保育園の卒園式の時、他の子がサッカー選手や野球選手って言ってるのに惑わされずにみんなの前で「おおきくなったらおすしやさんになりたいです」って言ってたあれ、まだそうなんだね…。)


この前10歳になった息子は8年くらい夢がブレてない。
いまだに何がやりたいのかよく分かってない僕よりもどんだけすごいんだ、、


手先の器用さとか、素早い動作が難しいとかいろいろあるかもしれないけれどブレない姿勢というか困難に向かってく(もしかして本人は困難とか感じてない??)姿勢に、何か力になりたいなあと思わず思ってしまいます。


人が断固たる決意というか確固たる信念というか困難に向かって立ち向かう姿勢というかを持って動いていると知ったとき周りの人は協力したくなるのかもしれないと思った出来後です。