小さいことだけど大きい変化

こんにちは。シラです。
今日も真我の実践に焦点を合わせて毎日を過ごすためにブログを書きます。
お読みくださりありがとうございます。

3か月くらい前に勢いで受験を決めた国家資格の試験に昨日行ってきました。受験を決めて申込して、通信講座の教材が届いて、届いた教材、膨大な量のDVDとテキストの最初の章を3日勉強したところで、、試験当日を迎えました(>_<)

前日、妻に

「ところで、明日は試験受けに行くの?」

と尋ねられました。
これまでだったら、まったく勉強していないし、あの時勢いで申込したけれど(そもそもこれが本当に自分のやりたかったことなのか?)との疑問は深まる一方だし、気持ちのいい季節の日曜日だし、試験自体放棄する選択をしていただろうところ。
少しだけ迷いましたが、、

「勉強まったくしてないけど、せっかく申し込んだし後学のためにいってくる」

と、これまでと違う選択をして受験してきました。
試験は3時間、記述式が少しとほとんどがマークシート。
3時間、今の自分の精一杯でマークシートは全問解答してきました。
自信を持って解答できたのは1問だけ。
試験が終わったとき、(何かの間違いで合格しちゃったりして…)などと思いました 笑。


試験の前夜、息子のいつもの同級生家族×2が我が家に集まってくれて、息子の快気祝いの飲み会をやりました。(国家試験前日に飲み会…)

夕方、妻と台所でフライングして先に飲みはじめながら、飲み会の準備をしてるとき。今は子どもたちに振り回されっぱなしだけど、いつまでこうして一緒に出掛けたり、遊んだりできるんだろうね?というような話になりました。

きっと、あっという間に大きくなって、家族より友だちと過ごす方がいいってなっちゃうだろうね。

いつまでこうして飲み会やれるかな。
子供たちが大きくなってもやれるといいね。

どんどんいろいろと忙しくなってくるけど、今がいいときだね。

いつの時もその時その時で今が一番いい時だね。

というような話をしてたと思うのですが(記憶があやふや)、どんな話の展開でそうなったかは忘れてしまったけれど、

息子や娘のことを一番に思ってること、それは妻も僕も同じ。
それって僕の両親もそうだし、妻の両親もそう。
表面的にはいろんな出来事で対立したり噛み合わなかったりあっても、みんな思いは同じ方向なんだって、佐藤先生のところで学んでて気づかされたよ。

前に未来内観で衝撃的に腑に落ちた内容のことをはじめて妻に話しました。佐藤先生の講座のことを妻もあまり聞いてこないし、僕も誤解なく伝えれる気がしてなくて、これまでほとんど話したことがありませんでしたが、一昨日のそのときはなんかスルスルスルーと口から出てきました。

それを聞いた妻は「ふうーん」としか言いませんでしたが、妻の目や表情や雰囲気から、ああ伝わったなと感じました。


ほんとに些細なことかもしれないけれど、このような小さな変化がたくさんあります。

前は自分で気づいてないくらい意識していなかった無意識に近い意識のところで、頭で考えて、理屈で、

こうしたらこうなる
こうしよう
こうするべき

というように意識してたような気がします。

それが悪いとかいいとかは分かりませんが、そうしていた。

暗い部屋で喩えるならば、

(部屋が暗いから)電気をつけよう
電気をつけたら(暗い)部屋が明るくなる
電気をつけて(くらい)部屋を明るくするべき

というように無意識に近いところで意識していて、暗に“部屋が暗い”ということに意識がいっていたんじゃないかなと思うわけです。

だけどそれが、「部屋は明るい」という答えを自分の中の深いところで気づき出してる気がします。

愛しかないという答え。

今日もやっぱり言葉で表現するのが難しかったですが、結局何が言いたいかと言いますと、「ちょっと脳が変わってきた」ということです。