11/3言葉編のその後

こんにちは。シラです。
今日も真我の実践に焦点を合わせて毎日を過ごすためにブログを書きます。
お読みくださりありがとうございます。

昨日の出来事を書きます。
自分の脳が変わってると感じた出来事が2つありました。

1つは新規面談のお客様。70代半ばのおばあちゃんでした。
おばあちゃんが僕と会った当初の目的は「今の保険料が安くならないか」でした。現状をいろいろと教えていただき調べてみた結果、難しいということがわかりました。

今の保険を続けていくか、どうしても保険料を下げてければ優先順位の低いこの部分を解約すれば〇〇〇円下げることができるということをお答えしたらスッキリしておられた。ご自分がどんなときにいくら受け取れる契約内容なのかよくわかっていなかったのが、わかって良かったと言っていた。

お客様のと会話が続き、お話を聞いているとお客様がこれまでの人生を語り出した。すごい人生だった。そして家族、子供たち、孫たちの話になっていった。3人の子供たち、そして孫たちもまたすごい人生を送っている。こちらが特に意識はしていなかったけれど「こんなことあまり人に話したことないけど…」と言って、話がどんどん出てきた。(あ!きた!)と思いました。

話を聴いてて

「ずっとみんなのために頑張ってこられたんですね」

という言葉が思わず出た。

お客様の目が潤んでました。

出てくる話を聞いていると、この人が何を大切にしているのか、何のために頑張って来たのかがすごく伝わってきた。

「もしかして、こういうお望みがあるんじゃないですか?」

そんなこと考えてこなかったけれど言われてみればその通りだ、と言われた。保険を使うことで実現できる方法を伝えた。

「だけどそれくらいの金もらったって、あの子たち使っちゃって終わりじゃないかね」

「金額の多い少ないが問題じゃないんです。お金を受け取ったときどのように思うと思いますか?金額が多い少ないなんて関係ないんです。『おばあちゃん、自分たちのことを考えてくれたんだ。思ってくれてたんだ』って思うと思いませんか?『おばあちゃん、ありがとう』って」

面談終了時間になったので、もしご興味がありましたらお手伝いできますけどどうしますか?と尋ねると今すぐはできないけれど年末に電話して欲しいということになりました。

潜在ニーズを引き出そうとか、こうすればこうなるはずとか頭の世界で考えてやるんじゃなくて、自動的にそんな面談になりました。

相手の神に意識を向ける、とかも忘れて「無」な感じだった。
だけど自然とこんな面談になりました。
後付けで振り返ってみるといわゆる神シーズトークが勝手に出てきた。
そんな感じでした。


2つ目はクレーム対応。
偶然、先ほどの面談と同じ市に住んでいるお客様からお叱りの電話をいただきました。30分くらいで伺える所にいたので直接伺って、自分の至らなかったことをお詫びしました。

大切なことをたくさん教えてくれました。

クレームは宝だというけれど本当にそう思いました。

びっくりしました。怒っているはずのお客様は僕のことをとても思ってくれて励ましてくれて応援してくれてました。
そんなに僕のことを思ってくれていたことに気づいて「ありがとうございます」と心から感謝を伝えました。

気の強い経営者でもある奥様。「あなたはこういういいところがある、こういうすごいところがある。だけどここが苦手でしょ。それならばこうしたらいいのよ」「こうしたらもっといいのに」
全部お見通し。

「あなたもったいないわよ。他の人にはないいいもんもってるんだから」

この時のことを思い出して書いていて、今気づきました。
お客様は大満月に語りかけてくれたんですね。

頭でお叱りの言葉を変換して「こう思おう」「こう捉えよう」と意識的にどうこうするのではなく、

光のボックスを置いて直に受けないようにするとかでもなく(光のボックスのこと忘れてました)、

教えてくれている励ましてくれている応援してくれているとしか思えない、でもなく、

実際にお会いしてる間ずっと教えてくれて励ましてくれて応援してくれた。
しかも大満月をみながら。

「そうとしか思えない」以上に何かすごいことだった。


昨日のブログで

そんなぶっ飛びすぎたセミナーですが、vol.1を久しぶりに聴き直してみたら10ヶ月前に聞いていたときよりも自分のアンテナにひっかかる箇所がたくさん増えていました。10カ月の変化もあるでしょうが、言葉編セミナーの影響大と受け止めました。

五感で捉えれる認識の世界では「???」だったかもしれませんが、認識できないところでしっかりキャッチしてた。

と書きましたが、昨日のこれらのことも言葉編セミナーのせい(?)だと思います。
あまりに凄すぎてガツーンと脳がぶっ壊されたんだろう。

こうしてブログで書いたり人に伝えようと思うと言葉を使って伝えるわけですが、この感覚、言葉にできない。
人は普段、言葉を使って伝えたり思考したりするけれど、言葉って不自由だなと思いました。

参加者プレゼントが楽しみでなりません。