過去の記憶から

おはようございます。シラです。
今日も真我の実践に焦点を合わせて毎日を過ごすためにブログを書きます。
お読みくださりありがとうございます。

幼い頃、僕は泣き虫だったと親に聞いたことがあります。
自分ではよく覚えていません。
「男だったらメソメソ泣くな」と親だったか先生だったか誰に言われたか忘れましたが、そう言われたのを覚えています。

そして泣くのを堪えるようになっことも覚えています。
たぶん幼稚園か小学校の1年生かそれくらいの頃。

怒りとか悲しいとかそういう感情をいつしか押し殺すようになりました。そして泣かないために人とぶつからない術をいつしか身につけました。人に合わせる。自分を出さない。
そして相手や周りのことに敏感になりました。
相手や周りがどう思っているかどう感じているか。

幼い頃に自分を守るためにずっと自分を出さなくなり、いつしか自分がわからなくなった。
自分はどうしたいの?何がしたいの?

一昨日書いたブログ、自分は何を求めているのか。
行き着くところ究極は親に「がんばったね」と言って欲しいのかもしれないということ。親に認めてほしいという欲求。

一番の代表は親だけど親だけじゃなくてあらゆる人から認められたい、その代表としての親なのかもしれない。

自分の承認欲求を満たしたくて相手の望みを満たしたいのか、相手の望みを満たすことで自分が満たされるのか。

どっちもあるし、紙一重な感じもするし、もしかしたら同じことなのかもしれない。

相手を満たすことで自分が満たされるし、自分を満たしたくて相手を満たそうとしてるのかもしれないし、自分でよくわからない。

サンタなのか無自覚にサンタのふりになっているのか。

相手のためなのか自分のためなのか。

真逆なんだけれどごちゃ混ぜになっているような気がする。
ごちゃ混ぜになっていて同時に両方ある気がします。

世界をどのように見ているかということを時々思うのですが、今日は自分をどう見ているかということを、正直に書いてみました。