おはようございます。シラです。
今日も真我の実践に焦点を合わせて毎日を過ごすためにブログを書きます。
お読みくださりありがとうございます。
“変化・進化を堰き止めているものは何か?”ということをテーマに僕の個人的体験の途中まで書きました。つづけます。
シラの個人的体験2
4倍になった収入は数か月続きましたが、また元の木阿弥。戻ってしまいました。戻ってはしまいましたが、一度突き抜けを経験しました。記録を残しておらず記憶を手繰り寄せてみると、一気にいろんな仕事が舞い込んできてパンクしてしまったんだと思います。とにかく忙しくて忙しくていくつかミスがあり、そのミスをきっかけに「自分はダメなやつだ」となっていってしまったと思います。
書いてて気づきましたが、長年のクセが残っていたんですね。
このとき僕は営業プログラムが人生を変えることをすでに体験していたので、営業プログラムは一生懸命聴き、毎朝「成功と幸福を呼ぶ言葉」を読み上げることと笑顔の練習だけは続けていました。
ただこのときはまだ妻は僕が何をしているのか全く知りませんでした。
佐藤康行の“さ”の字も、真我の“し”の字も知りません。
もうこれ以上心配かけたくないという思いと、妻に話してもどうせわかってくれないという思いから、コソコソ追及していたのです。
真我開発講座に週末2日間家を空ける時も、営業の研修に行ってくる的なことでぼやかしてました。サンタも真我も全部「Tさんの勉強会」と説明してました(笑)。帰ってきてからも妻の前では、それまでと変わらない自分でいるよう努めました。
営業プログラムも仕事の移動時間や一人の時間に聴いてました。
朝早く起きたり、家族が寝静まった後など。
これじゃあ力を出しきれるわけないですよね…。
自分で元に戻そう元に戻そうとしている…。
(※ここでいう「元に戻そう」は神の働きではなく、ほんとうの自分を知る前の過去の自分に戻そうという意)
ある意味、そんなコソコソやってたのに「死んでしまった方がマシ」と思ってた精神状態から復活して、一時期だけでも収入が4倍になったのがすごい。
そんなコソコソ状態も次の展開を迎えました。
「いつも楽しそうに出かける夫たちに家のことを任せて私たちも楽しもう!」とTさんの奥さん、Mくんの奥さんと僕の妻の3人でTさんが経営するお風呂に行って日ごろの疲れをとり、飲み会やろうという企画が持ち上がり開催されました。通称「YS妻の会」(笑)
話題はもちろん子どものことや家庭のこと、だけど1番の話題は1番の共通点の“受講生の妻”。Tさんの奥さんはTさんの講師の練習相手になったり、Mくんの奥さんはMくんは何でも話すし企業研修などで知っている。2人の奥さんは間接的に佐藤先生のしていることを知っていますが、僕の妻はYSの“わ”の字も佐藤の“さ”の字も知らない。
どんなことになるのかは想像に難くないことです。
以前の僕でしたらはぐらかしたりごまかしていたと思うのですが、「まあそういうタイミングなんだな」と思いました。
案の定、帰ってくるなり妻の顔色は違ってました。とても楽しんだ後の顔ではありません。
「で、いくら使ったの?」
正直に話しました。
そしてなぜその選択に至ったか、どんな想いだったかを話しました。だけどそこにいっさいの理解はなく、ただただ「信じれない」「離婚だ」と。思った通りの反応でした。
それまでも一事が万事、妻は自分の思う通りにならないことには外に原因を求めました。分かりやすく言うと「私が正しい、あなたが間違っている」と相手を責めて相手を裁くのです。そんな妻に対していつしか僕は「言ってもわかってもらえない」と最初から諦め、何も言わなくなりました。
それからも「見返してやる」というような、どちらかと言えば負の感情をエネルギーにして仕事をがんばりました。サンタ営業が特に生命保険営業に的を絞った教材、「13法則」も手に入れてがんばりました。
13法則の中の一つ「目標設定」の中の「目標を3倍にする」を選び、まずこれをやろう!と必死にやりました。13法則を手に入れる前に目標を2倍に引き上げていたので、実質、従来の目標の6倍です。
営業プログラムと13法則を聴きながら遮二無二やって3か月後には目標の4.5倍の成績ができました。実質、従来の目標の9倍です。
過去の自分では考えられない成績なのですが、やりきった感でその後燃え尽きるのです。
続かない。
その間の妻との関係はよくなりません。
むしろ「こんなにがんばっているのに全然わかってくれない」という思いが積み重なっていきました。妻もフルタイムで働いているので家事は二人でやるのですが、「洗濯も皿洗いもゴミ捨ても掃除機もほとんどオレがやってるのに妻は全然感謝がない!」と心の中で妻を責め、妻を裁いていました。心の中で「やってあげている」と傲慢だったのです。「こっちはここまであげているのに、相手はくれない」「これ以上は相手がくれないとこっちもあげたくない」と妻に対してクレクレ星人になっていたのです。
当時はあまり自覚がなく気づかなかったのですが、そんな負のエネルギーをエンジンに頑張っていたわけです。「コノヤロー」「見返してやる」って。それでも一時は成果は出ましたが続かない。続くわけがない。明らかですよね。疲れます。
そんな頃に近く三重県で開催される“伊勢志摩講演会”が近づいてきました。行きたいけど、「行きたい」って妻に言っても100倍になって反発が返ってくると思っていた僕は、伊勢志摩講演会が近づき盛り上がるTさん、Mくんを横目に行けないごもっともな理由ばかり探していました。
だけどそんなことMくんは、すべてお見通し。
Mくんにお尻を叩かれ、閉店したラーメン屋さんの前のベンチで二人で“妄想を消すワーク”をやりました。
僕は本音では望んでいる“妻と伊勢志摩講演会に行きたい”ということを伝えることを今からやれ、と。電話はハードルが高かったのでLINEでやりました。
そのときのブログ
LINEを送った数分後にiPhoneの画面がピカピカピカピカ光り、どんどんどんどん次から次へと妻からLINEが送られてきたときの恐怖(笑)、そして妻からの着信。罵倒され罵声を浴びせられ僕の全人格を否定され…、真夜中に1時間半大量の心のゴミを直球でぶつけられました。
かんたんに書けると思った僕の過去の振り返り、、書いてるうちにどんどん出てきてまた長くなっちゃいました(>_<)
仕事に行く時間になってしまったので、中途半端ですがここらへんでPCを閉じます。
つづきはまた。