ある意味 究極の橋渡し??

おはようございます。シラです。
今日も真我の追求と仕事の実践に焦点を合わせて毎日を過ごすためにブログを書きます。
お読みくださりありがとうございます。

今朝、佐藤先生の音声を聴きながら散歩をしました。

池に鯉がたくさん

うちにある息子の鯉のぼりを買った時のことをふと思い出しました。

当時勤めていた外資の会社がリーマンショック直撃して退職、独立、生まれてきた息子に何かわからないけど障害が…と嵐、暗闇の真っただ中で、お金を使うことが恐怖で息子に鯉のぼりを買ってあげれませんでした。こどもの日にたまたまホームセンターで半額赤札が貼られた500円のちっちゃな鯉のぼりを見つけて買ってきて飾りました。
結局、今でもその500円の鯉のぼりを毎年飾っています。

ふとその時のことを思い出して泣けました。

朝の清々しい空気の中、音声を聴きながら散歩を続けます。

うちから徒歩2分で行けるこの公園は100円で観覧車や汽車にも乗れて長い滑り台や複合遊具もあって、キジやフラミンゴもいて桜もたくさん咲いて広い芝生もあります。天気のいい休みの日は子ども連れ、家族で賑わう公園。市内だけじゃなくて結構遠方からも遊びに来る人がいます。

そんな公園がうちから2分のところにあるわけですが、この公園のすぐそばに1台分駐車場も借りているので、ほぼ毎日この公園には来るし、1日に何度も来ることもあります。
そして、散歩していてふと「自分ちの庭みたいなもんだ」と思いました。

息子が保育園の頃は「こーちゃんちには観覧車があるね」なんて言ってましたが、佐藤先生の講話の、台風が来て家が飛んで行ってなくなったら地球が自分の家だと気づく、という話をふと思い出し、「ああこの公園も自分の家だ」と思ったら、とても豊かな気持ちになりました。

散歩コースやたくさんの遊具、広い芝生にたくさんの草花。たくさんの人が遊びに来てくれて、おかかえの管理人たちがそうじや草木の手入れや管理をしてくれる東京ドーム1個分以上ある広大な我が家の庭(笑)。直結した電車の駅もあります。

贅沢(^^)

捉え方を変えるだけでとんでもなく豊かな気持ちになってます。


散歩しながら音声を聴いていて橋渡しの講話が出てきました。

時間的橋渡しと空間的橋渡し。

時間的橋渡しで、この日に結婚をすると決めたらその瞬間から幸せな気持ちになる、というあの講話。

この“結婚をする日”を例えば、“次の学長に会う日”としたり“何かやるぞという日”としたり何でもいいと思うのですが、これを人生最期の日に橋渡ししたらどうだろう??

「最高の人生だった!ありがとう!!」と心の底から思ってこの世を去ることを橋渡しする。

本当の自分、真我で生ききってこの世を去る最期の日を橋渡しする。

人生の一番遠いところに橋を渡す。

そしたら最期の日までに起こる出来事がすべて過程になるんじゃないかって感じました。

ふと思いついたまま書いてるので、これから深めていきたいと思いますが、ある意味、究極の橋渡し??かもしれないという気がしてます。ご意見ご感想ありましたら ぜひ教えていただきたいです。