夏休みな一日

おはようございます。シラです。1歳の娘ゆーちゃん。バナナのことを「ば!」、ゾウのことを「ぞ~」、ダルマのことを「あぷぷ」、他にもたくさん言葉をおぼえまてきました。最近の得意技は「ばいきんまん」(笑)。

なぜかとても上手に発音できる。アンパンマンをみても「ばいきんまん」、カレーパンマンをみても「ばいきんまん」、ジャムおじさんをみても「ばいきんまん」。何か勘違いしてるけど、とてもきれいな発音で6文字もある「ばいきんまん」を連発します(笑)。とてもかわいいです(^^)

今日も真我の追求と仕事の実践に焦点を合わせて毎日を過ごすためにブログを書きます。お読みくださりありがとうございます。

私の知人で昔日本一のセールスマンだった人が、同じように昔よく売ったセールスマンの仲間たちのことを、「今彼らにあってもろくな人間いない」と言っていました。

なぜかと言うと、みんなテクニックだけ磨いていたからです。そういう人が歳をとってくると、段々パワーもなくなって、元気もなくなって、口だけが上手いという魅力のない人間になってしまうわけです。

ポイント テクニックだけを磨いて自分の本質を磨いていないと、魅力のない人間になってしまう

でも中には、本体そのものを磨いている人もいるんです。そういう人は、人間的にも立派になっています。単に口で上手く行って売りつけてしまうようなやり方をしていると、その技術がもっとうまくなったら、その延長線上は詐欺師になっちゃう可能性があるわけです。その場さえお客様を納得させればよいということになっちゃうわけです。

そうじゃなくて、自分の本体そのもの、本質から変えていく。そうしたら、絶対長続きします。だって生きている限りは自分なんだから。そして、営業というのを、もっと大きな単位で捉えるわけです。政治家だって営業ですよ。選挙も全部営業です。私の知っている国会議員だって、この営業のテクニックは全部通用していますよ。

私が伝授している人がいるんです。全部、営業のテクニックは使えます。国会議員にも。それから、国対国の外交だって、あれはセールスです。宗教なんて、セールスの塊みたいなものですよ。全部そうですよ。国家公務員だって、本当はそうなんですよ。そうじゃないからみんな赤字になっちゃったりしているんです。だから、営業という仕事、セールスという仕事に誇りを持つことです。

私が現在あるもの、やっぱり営業をやってきたからです。営業をやってきて、お金を貯めて、お店も全部で七十店舗まで作りました。で、今はこの真我開発講座に焦点を当ててやっていますけどね。

全部、自分自身を変えるという段階を踏んできてそうなりました。ですから、営業は自分の人生そのものであると捉えて、仕事に誇りを持って、この仕事が自分を変えてくれるんだというふうに考えてやれば長続きします。人生を捨てない限りは。

佐藤康行「究極の営業プログラム」より

昨日から姪っ子・甥っ子が我が家に泊まりに来ています。

数か月前に泊まりに来る話があったのですが大人の事情で流れてしまい、姪っ子がものすごく怒っていました。義姉が「もう、しょうがないでしょ!また今度」と言った時の姪っ子の言葉に衝撃を受けました。

「大人の『また今度』なんて絶対来ないじゃん!信じれない!!」

泣いて叫んでいました。

姪っ子たちは確かに僕の目から見ても大人たちにすごく振り回されているように見えていました。大人たちは分かってないのか分かってるけどできないのか、それが原因で姪っ子はメンタル不調な波がときどき現れ、それに対して大人たちは「困った困った」と言っています。

「大人の『また今度』は絶対来ない」

(これはいかん…。信じれるように“また今度”を作ってやらねば)

そんな経緯から、夏休みに入り義姉に直接働きかけて“また今度”を実現させました。

姪っ子はもちろん、甥っ子も超楽しみにしていたようでウキウキワクワクが伝わってきます。こーちゃんも楽しみだったよう。

どこかへ出かけるわけでもない、我が家でみんなで勉強をさせて(姪っ子にこーちゃんの勉強を教えてもらう)、ゲームして遊び、ご飯を食べてお風呂入って寝る。ただそれだけ。ただそれだけだけど、それはもう大盛り上がりしてました(^^)

子ども達だけで遊んでくれるので、僕はそれを眺めながらビール飲むだけ。楽チン(笑)満足。

ビールを飲んでる僕に姪っ子が寄ってきて

「ぜったいお泊り会ないと思ってたけど、泊まりに来れて私嬉しい!」

そんな言葉を聞けて良かったです。

・・・・・・

午前中に妻の実家のお盆をやりました。5月に亡くなった大ばあちゃんの初盆です。こーちゃんがお経の本を見ながら一生懸命見よう見まねでお経を読んでました。

子どもたちがいるから…と熊野観心十界曼荼羅という図を広げてお坊さんが説法をしてくれました。

仏教では目に見えるこの世界だけを相手にしているのではなくこの世界は一部だと。全部で十の世界があり、それを表わしている図だそうです。

仏教初心者の僕ですが、言ってることが良く分かり、とても面白かったです。前のめりで話を聞いてました。いくつか質問をしたのですが

「おお、いい質問ですね~。それはですね…」

とお坊さんと盛り上がってしまいました(笑)阿弥陀さんとお釈迦さんの関係とか初めて知りました。

曼荼羅の話が終わったあともお坊さんがノリノリでいろんな話をしてくれました。千日回峰がどれだけすごいことをするのかとか。

「そんなことしなくても悟りを得られるとしたご興味ありますか?」って掴みトーク喋っちゃいそうでした(笑)

話を聞いてると“悟りを得る”のが目的ではなくて、千日回峰を達成することが目的になってないか??となんとなく感じたので、掴みトークしませんでしたが(苦笑)
達成者の称号を得たい、みたいな。ウルトラトライアスロンとかそんなノリになっていないかな?

そう言えば悩めるお坊さんが真我開発講座を受講して「私がずっと求めていたものがここにあった」と感動したという話をMDさんか誰かから聞いたことをブログ書いてて思い出しました。教えてあげればよかった。

もうピークは過ぎてましたがまだ蓮の花が咲いてました。泥沼じゃなくてお堀に咲く蓮の花。

そろそろ子どもたちが起きてきます。さあ、何して遊ぼうかな~♪

 追記:ゆーちゃんを寝かしつけながら僕が寝落ちした後、みんなで大UNO大会で盛り上がったらしい。。また寝落ちしたんだ。。