選択するということについて

こんばんは。シラです。
今日も真我の追求と仕事の実践に焦点を合わせて毎日を過ごすためにブログを書きます。
お読みくださりありがとうございます。

今日は僕が昔から苦手な“断る”ということをしました。

昨年度参加をしていたプロジェクトを今期はどうするか、という選択をしなければならなかったのですが、自分が集中にしようと決めた分野と相違をしていてプロジェクトに引き続き参加をしても他のメンバーに失礼だと思ったので、辞退をさせてもらうことにしました。

昔から頼まれると断れない性格で、頼まれていなくても期待されていると感じたことには期待に応えようという選択を続けてきました。

今回も引き続き参加をして欲しいという依頼はありませんでしたが、「抜けます」と言うことにすごく抵抗がありました。
“実践=相手の欲求を叶える”という観点からすると、この「抜ける」という選択は自分のエゴなのか??ともすごく思いましたが、「自分の種は何なのか?」「自分が力をもっと発揮するには?」を考えて、プロジェクトを継続することのその一段上にあるというか奥にある会社の欲求を、自分が今集中する分野で実現しようと決めました。

正解かどうかは分かりませんが、ゆくゆく今回の選択が正解だったとなるように行動をしていけばいいやと思います。

何かを選択するということはそれ以外の選択肢を捨てるということ。

その「捨てる」ということがなかなかできなかった。けれど抵抗を感じながらも「捨てる」ということをしました。今こうして書いてて、抵抗感があったのは今までと違うことをしようとしたからだったのかな、と思いました。ひとつ幅が広がった、そう捉えることもできるな。

その時点では正解かどうか分からなくても、その選択が正解だったとなるように行動をする

書いてて、いいことに気づいたな~と思いました。

どこに打ってもホールインワンということからすれば、どっちを選んでも、どれを選択しても正解!なんでしょうけどね。

そうか!もし仮に「正解じゃなかった」と思ったら修正すればいいだけだ。「正解じゃなかった」ことが分かっただけでも“よかった”ですね。“何も選択をしない”ということ以外は正解だ。

ひとりごとのようなブログになりました。