パパの先生のお話

おはようございます。シラです。
今日も真我を開いて毎日を過ごすためにブログを書きます。
お読みくださりありがとうございます。


昨日、ゆーちゃんの保育園のお迎えに行きました。家に着く直前になって


「ねぇパパ、せんせーのおはなしききたい!」


「ん?」


「せんせーのお・は・な・し!」


「何?何?先生のお話?保育園の??」


「ちーがーう パーパーの!せ・ん・せ・い!!」


「ああ!パパの先生のお話聞きたいんだ」


「そうそう。ねぇきかせて」


「わかった、いいよ。じゃあこーちゃんが家で待ってるから次にパパが保育園行ったときに聴こう」


「やだ、やだ、ゆー、いまききたいの!」


「困ったなぁ〜 あ、そうだゆーちゃん家に帰ってパパのハイボール作ってくれるんじゃなかったっけ??」


「あ!ごめんね、パパ。ゆーわすれてた。おうちかえろ。ゆーがおさけ作ってあげるね」


そして、今朝。
上の息子が咳が酷くて学校お休みに。娘の保育園も僕が送っていくことになりました。


車に乗り込み、iPhoneを bluetoothで車に繋ぎ「成功と幸福を呼ぶ言葉」を再生しました。


「え?なんで??」


「ゆーちゃん、昨日聴きたいって言ってたじゃん」


「ああそうだったね。ねぇパパのせんせーはなんていうせんせぇ?」


「佐藤先生だよ」


「さとーせんせー?ふーん。さとーせんせーか」


kabutoさんの音楽が終わりはじまります


どんどんよくなる
ありがとうございます

「いーよー」

ありがとうございます

「いーよー」

あなたのおかげです

「はい!」

皆様のおかげです

「はい!」

すばらしいです

「はい!」

今が最高です

「ほい!」

楽しいです

「ほい!」

嬉しいです

「ほい!」

元気です

「ほい!」

以下続く…


合いの手を入れながてゲラゲラ笑い保育園へ行きました(>_<)


・・・・・・


この成功と幸福を呼ぶ言葉の出だし


「どんどんよくなる」


この言葉を聞いたときにうわーっと思いました。佐藤先生は「どんどんよくなる」って言ってるのは「良くなるしかない」と言ってるんだと思いました。良いと思われることも悪いと思われることも全部「良きこと」「全て吉報」。


だからどんなことがあっても


「どんどんよくなる」





書いてて思いました。
何かあれば全て吉報で「どんどんよくなる」


裏を返すと何もなければ「どんどんよくならない」


行動をすれば何らかの結果が出てきます。
何も行動しなければ何も結果は出てこない。


行動せよ


そういうことのように感じました。


昨日LINEやブログで何人かの方の苦しんでる様子やもがいてる様子を伺いましたが、とてもいい状況・いい感じに思いました。自分が追い詰められて八方塞がりのときにはなかなかそう捉えれませんが(笑)


四方八方を塞がれたら上に上がるしかない。
必死にならざるを得ない。


自分も何度も経験してますが、渦中の時はとてもそう捉えれない。
追い詰められて追い詰められてどうにもならなくて、執着していたものを手放したとき、えい!って思い切ったときにこれまでの自分を脱皮して次の展開になってく。


この執着していたものを手放す、えい!って思い切るときにまだまだ怖い。佐藤先生は「全自動」と言われます。人間が食べ物を口に運ぶまでは自分の意思だけど、口に入れてからは全自動。心臓が動くのも全自動。怪我をしても治るのも全自動。この宇宙の法則に沿えば力がいらない。


この「怖い」のは自分の思う「こうなったらいい」「ああなったらいい」という自分の思い描いた結果を求めてるから何だと思う。もしかしたら自分の思う結果とは違う結果になるかもしれないけれど、それが完璧。それが答え。


この全部お任せする「絶対他力」、ここが僕の伸びしろだなと思います。


ゆーちゃんがゲラゲラ笑いながら合いの手入れて楽しんでるとき、僕はそんなことを思いました。