こんにちは。シラです。
今日も真我の実践に焦点を合わせて毎日を過ごすためにブログを書きます。
お読みくださりありがとうございます。
昨日、夕方知人の小さいお子さんが交通事故で亡くなったことをニュースで知りました。またその一方で、ずっと子どもができなかった友人に子どもが生まれた知らせももらいました。
今の自分に、あたり前のようにある周りの環境はあたり前ではなかったと思い出させられた2つの知らせでした。
昨日、アポインターの取ったアポイント案件の初回面談で面談場所である自宅住所に行ったらお寺さんでした。
僕はお寺の住職さんの相談を受けるのは初めてで、まだ見ぬ新たな自分を発見してきました。
説法をしたり教えを説いたりするのが普段の仕事で、逆に相談をするということに慣れていらっしゃらないからか、初対面で品定めをされたかは分かりませんが、お会いして最初、なかなか心の扉が開いていかないと感じました。
生命保険の話をしていくうちに
「人はみな必ず最期、その時が来る」
「オギャーッと生まれた瞬間から、意識していないかもしれないけれど死に向かって1日1日を生きている」
「実はいつでも命が懸かってるんですよね」
などと、まさに釈迦に説法かもしれませんが…と命のことの話になっていきました。お寺の住職を相手に一切気後れすることなく堂々と命について話ができる自分に驚きました。住職さんも「そうだそうだその通りだ」と話を聞いてくれました。
そのあたりからお目に適ったのかどうかはわかりませんが「実は…」と心の扉を開いてくれました。
最後には
「ごちゃごちゃしていた頭の中が整理されてとてもスッキリしました」
「どうもありがとうございました」
というお礼の言葉と次回プラン提案という約束をして終えることができました。「これだけのことをしていただいて相談料は無料というのは本当によろしいんですか?」という言葉をもらい心の中で「ヨシ」と思いました。
録画したカンブリア宮殿を観ました。
がんこフードサービスの創業者、小嶋会長という方の回でした。
番組の中で
「経営に必要なものは人・モノ・金と言われますけど、私は人・人・人だと思うんですよ」
と言われてました。佐藤先生と同じことを言ってる。
先月ある方の出版記念講演に偶然参加した時に、「過去のできごとそのものは変えられないけれど認識を変えることはできる」という話が出てきました。
佐藤先生が3年前に出された本「過去は自由に変えられる」だと思ったことを思い出しました。過去は変えられないというのがこれまでの常識でしたが、佐藤先生が「過去は自由に変えられる」を出されてから、変えられるという人が他にも出てきたのかなと思いました。
こうしてちょっとずつ人が常識・当たり前・普通と思っていることが変化をしていくのかもしれない。
なんだかとりとめのない話になってしまいました。