かからなかった自分「愛を求める叫びなり」に気づく

こんばんは。シラです。
今日も真我の実践に焦点を合わせて毎日を過ごすためにブログを書きます。
お読みくださりありがとうございます。

昨日は高校時代の部活の同期と1コ上の先輩たちと1コ下の後輩2人、合計20人ほど集まり飲み会をしました。
楽しかったー!
あっという間の6時間でした。
今朝起きたら声がガラガラ。

今日はお盆で妻の実家に行き、さっき帰宅しました。
いつものごとく妻が親とケンカというか険悪な感じになったのですが、妻の言葉や態度、表情、お義母さん、お義父さんの言葉や態度、表情、いわゆる表面的な部分に囚われず、その奥にある愛の部分を自然と捉えることができて、かかることがありませんでした。

妻の両親と同居する姉が仕事がハード過ぎて昼食から帰ってきて寝てしまい、妻はお義母さんが夜ご飯の準備とかで大変になるからもう帰ろうと言い、お義母さんは普段娘に何もしてあげれていないから、こんな時くらい私が頑張らなきゃとせっせと夜ご飯の支度をしながら「食べていきなさい」と言う。

「もう帰る」「食べていきなさい」の言い合いから、「だいたい普段あんたは…」とお互いのごみ出し、ごみのぶつけ合いが始まりました。以前だったら(もうやだ…)と感じて妻と妻の家族を裁く心がムクムクしてきてたところですが、今日は一切裁く心は出てきませんでした。言い争いを何とか丸く収めようとも思わず、ただただ親の子を想う愛と子の親を求める愛にしか聞こえてきませんでした。

昔はこの言い争いやケンカをあんなに裁く心でいっぱいでしょうがなかったのに、すごい変化だと思いました。

「お義母さん、もう作り始めちゃってるしいいじゃん。甘えさせてもらってご飯食べて帰ろうよ。そしたらあと帰ってお風呂入って寝るだけだし」と思ったことをそのまま言ったら「そうやっていうんならわかった、そうするけど」と争いは収まり、ご飯を食べさせてもらい花火をやって帰りました。

帰りの車の中で

「だいたいね、あの人はお姉ちゃんに甘いんだって。仕事が大変だからって家事も孫のこともほとんどあの人が手を出してやってるでしょ。お姉ちゃんもお母さんに甘えすぎ。みんな仕事しながら子どものことも家のことも頑張ってやってる人いっぱいいるのに。

今日だってずっと寝てたでしょ?私なんかいつも全部一人でやってるっていうのに!(「オレ結構一緒にいろいろやってると思うけど…」というツッコミはしませんでした)

それでお母さん毎日忙しすぎちゃって体調崩して寝込んじゃうでしょ?
お母さんそんなにやらなくったっていいんだって!今日ご飯作ってもらっちゃったからきっと明日倒れるよ、あの人…。もう私知らない!」

短い時間でしたがゴミ出しが続きました。

妻はもっとお母さんに甘えたいんだなってことが分かりました。
子どもの頃からお姉ちゃんは跡継ぎだから大切にされて、私は外に出る子だからって適当に育てられたとよく言ってました。
「もっと私のことも見て」という愛の叫びを感じました。
寂しかったんだね。

妻の心のフィルムをより理解できて、普段の言動がなぜそうなのか?ちょっぴりわかった気がします。なるほどね。

まったくのんびりすることない休みでしたが、明日からは日常モードに戻ります。