人生最期の時の「報告」

こんばんは。シラです。
今日も真我の追求と仕事の実践に焦点を合わせて毎日を過ごすためにブログを書きます。
お読みくださりありがとうございます。

今日は久しぶりに刈谷友の会に参加しました。
月曜日に西尾友の会で刈谷友の会会長に会ったことがきっかけでした。
久しぶりに会ったMDさん、S田さん、嬉しかったー。

今日もクルマの移動中、ずっと学長のCDを聴いていました。
狭い空間でボリューム大で結構長い時間聴いていたからでしょうか、またまた込み上げてくるものがありました。真我開発講座、未来内観状態。

昨日のブログで書きましたが、僕の中で「報告」というキーワードが最近のブームの1つです。

こんばんは。シラです。 今日も真我の追求と仕事の実践に焦点を合わせて毎日を過ごすためにブログに書きます。 お読みくださりありがとうございます。 今日は受講を成果に繋げることについて書...

で、僕が人生を終えた時に

「僕の人生は最高だったよ」

「こんなに幸せだったんだよ」

って、きっとその時に待っててくれるであろうお父さんお母さん(注:今は健在です)に報告できるだろうか?

ってCDを聴きながらふっと思ったんです。
そうしたらお父さんお母さんが待っててくれるって思っただけで包まれたような感覚になりました。

「こんなこともあったよ、あんなこともあったよ。いろいろあったけどいい人生だったよ!」

って。そう報告したい。
そう報告したらきっとお父さんお母さんも嬉しいだろうな。
そう報告するにはまだまだやることたくさんあるなって思いました。
目の前のことがちっぽけに感じました。

で、ポジションチェンジをして今度は僕が親の立ち位置に変わりました。

息子と娘が人生を終えた時に僕にどんな報告をしてくれるだろうか?
どんな話をしてくれるだろうか?
人生100年時代と言われる今の世の中、息子と娘の人生はおそらくきっとこの先90年以上ありますが、これからどんな人生を歩んでいって僕が先立ってお別れをした後はどんな人生を送って、人生を終えた時にどんな感想を話してくれるのだろうか??

「いい人生だった!」

と思える人生を歩んでほしい。
そう思いました。

親と自分、自分と子供たち、いわゆるタテの軸、軸というより重なり合うような感じました。あ、「一つ」という言葉がピッタリです。そんな感じがして、死から生を見る未来内観と縦の世界とを感じて涙がボロボロと…。

そして、今日はとてもいい天気でしたが、さっきまでよりもさらに世界が眩しく見えました。


月曜日の西尾友の会の時に、営業プログラムやなんかでも自分がすごく理屈っぽくなっていることに気づきました。理屈とかテクニックとか。
なので、それから今週の一週間、もっと感覚や感情の方を大事にしてみようと思って、今自分がどんなふうに感じるのか?ということに意識をしてました。

左脳より右脳を意識するみたいなことでしょうか。

今週は毎日1回はテキストを見ながらCDを聴き、毎晩寝ながらCDを聴き、と今までにないくらいCDを聴きました。
月曜日:西尾友の会
水曜日:名古屋フォロークラス
金曜日:刈谷友の会
と立て続いたこともあったかもしれませんが、学長の音声で癒されて満たされて活力が湧いてきたんだろうなと思います。

順番的に、癒される→満たされる→元気が出てくる、こんな感じです。
コップの水が溜まっていき溢れ出すという感じです。

今自分はどう感じているのか?

自分の感じてることを素直にありのままにキャッチしてみるのも面白かったです。
しばらく続けてみようと思います。

まとまりのない話でしたが今日はこのへんで。ありがとうございます。