学ぶということ、冒険

おはようございます。シラです。今日は燃えるゴミの日でした。息子を送り出しながらゴミを出しに行って戻ってくると娘がウンチをする。ここのところずっと火曜・金曜の朝はそんなことが続きます(>_<)。法則?(笑)

今日も真我の追求と仕事の実践に焦点を合合わせて毎日を過ごすためにブログを書きます。お読みくださりありがとうございます。

Q.佐藤先生は、「人から何かを学ぼうとするときには、自分を空っぽにしなければいけない」とおっしゃいますが、空っぽにして本当に成長できるのでしょうか?そこのところが不安なのですが…?

ポイント 自分を空っぽにして、自分よりレベルの高い人と会うことによって、より高度な情報や価値観が入ってくるようになり、成長できる

→A.空っぽにすれば必ず入ります、黙っていて。入れようなんて思わなくていいんです。

そういうようにできていますから。むしろ入れようと思うよりも空っぽにする方がはるかに難しいんです。入れようとするなんていうのは、何でもいいから知識を詰め込んでしまうことだから、それは簡単にできます。

でもそうじゃないんです。空っぽにするということは、もっと価値観の部分を変えるということであって、自分をここで生まれ変わらせるということだから。

それには空っぽにしないと生まれ変われないわけです。根っこからは。空っぽになったら、なるべくきれいな水のところに行かなきゃ。また濁った水が入ってくるでしょ。

自分の環境が同じだったら、またもとにも同わけです。だから、空っぽになったらすぐそのまま次のレベルの人と会うようにしたらいいんです。そうすると、それが入ってくるわけです。そのレベルのより高度な情報とか物が入ってくるわけです。

だけど、自分の価値観にこだわっていたら、その情報を自分が選択することになっちゃうから、遅くなってしまうということです。だって、その選択しているときは、自分のレベルの選択だから。空っぽにするには、一回素直になりきること。

そして、例えば今この場で学ぼうと思ったら、「今ここにあることを全部受け入れてみよう」と決めることです。自分で判断しないで。自分で判断しちゃうと自分の考えになるわけです。珠にこうやって話を終わったあとに、自分の考えを出して、「私はこうだ」と言い出す人がいるんですよ。自分の考えをもとにして、自分の考えで選択しているだけなんです。

ポイント 学ぶべきレベルの人に会ったら、自分の今までの価値観や考えを捨てて、「全部一回受け入れよう」と決意し、実行する。そのことによって、結果が出てくる

だから、本当にそのレベルの人と会ったら、一回今までの価値観や考え方を捨てて、「そうなろう!」と思えばいいんです。まず決意することです。

決意してそうなってまっさらに「まず一回受け入れてみよう」と思えばいいわけです。そして、できたらそれを実行してみることです。実行してみたら何らかの結果が出ます。そうでなきゃ見えないわからない世界があります。違う世界が待っているんです。

佐藤康行「究極の営業プログラム」より

今日のリライト、とても深いと感じました。

すごく引っかかった部分があります。

自分の環境が同じだったら、また元に戻るわけです。

という箇所。

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昨日突然とある大御所の人からメッセージが来ました。びっくりしました。FBのメッセージでやりとりをさせてもらったのですが、とても腰が低くとても丁寧。

“実るほど頭が下がる稲穂かな”

という言葉が浮かびました。

心・技・体 でいうならば、僕の中では「心(真?)」を佐藤先生に学び、保険の、特に相続のコンサルにおいてその方から「技」を学んでいるというイメージなのですが、そんな方から直接にメッセージが届き やる気がアップしました。

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昨日は夕方の数時間の仕事を除いて家で家族で過ごしたのですが、1歳3か月になる娘ゆーちゃんの成長っぷりに驚いています。

テレビと一緒に踊ったり、絵本のマネをしたり、それっぽく歌を歌ったり、妻の仕草を見てお化粧したり…。

学ぶは真似るってほんとだなーと思います。

1歳でまだ自分の価値観や自我が完成していないから、すっぽりと受け入れてマネをします。そしてそれを繰り返し精度が上がり上達する。

子どもの成長スピードが速いのは“我”や“価値観”が大人よりないからなんですね。成長スピードを速めたいならば、営業プログラムの今日のリライト個所で佐藤先生が言われているように、自分の考えで判断するのではなく自分の価値観を一回外して一回すべてを受け入れてみる。そして行動してみて、行動して出てきた結果で判断するんですね。

「習字でお手本をなぞるように」言われた通りにやる。と聞いたことがあります。

自分の価値観の中で判断して行動をしていたら、ずっとその中での繰り返しになってしまいますもんね…。

一回今までの価値観や考え方を捨てて、「そうなろう!」と思えばいいんです。まず決意することです。

決意してそうなってまっさらに「まず一回受け入れてみよう」と思えばいいわけです。そして、できたらそれを実行してみることです。実行してみたら何らかの結果が出ます。そうでなきゃ見えないわからない世界があります。違う世界が待っているんです。

どうして自分の価値観を外して一旦受け入れるのって難しいんだろう?怖いんだろう?

自分の価値観の中での判断は見通しが立つ安全地帯だと感じるから?

自分の価値観の外に踏み出すのは安全かどうかわからない。もしかしたら危険で失敗をするかもしれないから生命維持のための警報が発動して「怖い」と感じるということでしょうか。

もうすぐドラクエⅪが発売になりますが、子どもの頃ドラクエで同じ町、同じエリアでずっといるのはつまらなかった。新しい町、新しい場所に行きどんどん冒険するのがワクワクして楽しかった。

どうしてドラクエだとワクワクして、現実だと「怖い」と思ってしまうのだろう?

どうしてゲームだと良くて現実だと難しい?

やり直しがきくから?

現実社会でもやり直しはいくらでもきくし、失敗した、立ち直れないと思ったことが自分を成長させてくれる糧だって分かった。

だから真我開発講座で“本当の自分”に出会い、すべてよきことと知ったら現実社会でも冒険を怖いと感じるのではなく、ワクワクしたんだろうと思う。

また、冒険が怖くなってる。

また、冒険をワクワク感じるように行きたい。

同じところをグルグルしてる気がします。