前提と神対応

こんばんは。シラです。
今日も真我の追求と仕事の実践に焦点を合わせて毎日を過ごすためにブログを書きます。
お読みくださりありがとうございます。

佐藤先生の著書「満月の法則」に前提ついて「これを読んでいるあなたは人間ですよね(笑)」というようなことが書いてあります。
また、「確認はしたことないけれどあなたは男ですよね」ということを言っているのを聞いたことがあります。

今日は“前提”と神対応ということについて書こうと思います。

今日の出来事です。今朝、子供会の廃品回収のお手伝いに出た後、僕は仕事に行きました。そしてお客様との面談を終えて帰ってくると、妻と息子と娘はすでに息子のスポーツ教室に出かけていってしまいました。

電話をかけて「今帰ってきたよ」と伝えると、「仕事があるでしょ?いいよ、やってな。スポーツ教室の後に買い物してそのまま習字教室連れて行くわ」と言われました。娘の昼寝タイムなので眠たくてグズるんじゃないか…と心配もしましたがありがたく昼ご飯を食べて書類整理などをやっていました。

14時半頃でしょうか、電話が鳴り、妻からでした。

「ねえ!ちょっとゆーちゃんみてくれない??もう、眠くってギャン泣きで買い物もできない(怒)どうせ昼寝してるんだから、ゆーちゃんも一緒に寝かせてよ!!」

という電話でした。

繰り返します。「どうせ昼寝してるんだから、ゆーちゃん一緒に寝かせてよ!!」と。

かなりカチン!ときました。

昼寝なんてしてないし。

一生懸命仕事してたし。

朝早から忙しくて、ポカポカした昼間に昼ご飯食べて静かな家に一人でいると、僕が昼寝しているのが当たり前(前歴はありますが…)というその発想はなんだ!と怒れました。そうです。昼寝しているのが当たり前=昼寝前提で、ゆーちゃんも一緒に寝かせてよ、という話だったから怒れたのです。

グズる娘をひきとり抱っこしながら、この会話を思い出してて(ああ…、昼寝前提だったから怒れたけれど、まったく逆に妻の対応が神前提の対応だったら嬉しいよな…。)と思ったのです。

相手にどこに前提を置かれて対応されるかで怒れちゃうこともあるし、嬉しくもなる。神前提の対応=神対応はそりゃ嬉しいわけだ、と思いました。人の一番根源的なところの欲求を満たしてくれる対応をされたら嬉しくないわけがない。その逆に「あなたのここがいけない」「まちがっている」「欠けている」というような姿に前提を置かれたり、嬉しくない姿に前提を置かれたらイヤな気分になったり怒れてしまうわけだ。決めつけられるというかなんというか。

昼間の妻とのやり取りで“前提”と“神対応”について一つ気づきを深めた次第です。