おはようございます。シラです。ブログが1日空いてしまいました。今日も真我の追求と仕事の実践に焦点を合わせて毎日を過ごすためにブログを書きます。お読みくださりありがとうございます。
3.会社への信用がない場合の進め方
以前ある保険の営業マンが、お客様からこんなことを言われました。「お保険会社もずいぶん破たんするところがあるみたいだけど、お宅の会社は大丈夫か?」
その営業マンは、自社は大丈夫であることについて長い時間をかけてお客様に話をしました。しかし、結局はその商談は成立しませんでした。そういう暗い話を延々とすることは、あまり得策ではありません。
しかし、そういった不安に答えてあげることは大事なことなのです。
ですから、こう言った場合には、次のように対処するのが望ましいのです。」確かにどんな会社も絶対に破たんしないということはありません。しかし、A社も破たんしましたけど、A社にかけられていた保険は全部保障され、契約者は守られました。ですから、絶対に当社も安心です。万が一そういうことがあっても大丈夫です!」とスパッと言って、その話は切り上げて、次の明るい話題に移ることです。
断定的に「大丈夫です!」と言ってあげることが大事なのです。
また、その保険に入ることによって、いったいどういうメリットがあるのか、これに契約して本当に良いのかという不安を抱く場合もあります。
そういう場合は、いろんな実例を出してあげて、不安を解消してあげることです。「これと全く同じ保険をご契約になったあるお客様は、最初のうちは余り保険に価値を感じておられなかったのですが、その家庭に万が一のことが起きて、後になって『子の保険に入っていたおかげで、本当に助かったわ』とおっしゃっていました。まさに保険というのは、万が一のために家族を救う愛の表現なのです」という話をしてあげて、お客様の不安を取り除いてあげるのです。
ポイント 信用にあまりこだわらず、熱意と情熱と迫力で商品を欲しくなってもらうことに努めよう
そして、不安を取り除く最も大切なことは、信用にあまりこだわらないことです。熱意と情熱と迫力で、お客様に信用の有無を忘れさせて、その商品を欲しくなってもらうことです。信用を飛び越えることです。そのことによって、お客様はその商品を購入する決断ができるのです。信用というものにいつまでもこだわらず、なるべく明るい話を情熱を持って、迫力を持って話をすると良いでしょう。
お客様が信用にこだわっているうちは、まだその商品を本当に欲しくはなっていないと思って間違いないでしょう。
その商品を本当に欲しくなったら、信用のあるなしは吹き飛んでしまうものです。それは男女の恋愛のことを考えればわかります。家柄がどうであるとか、どこの学校を卒業しているとか、その人がどんな人柄であるかということは結婚に大事な要素ですが、それよりももっと大事な要素は愛です。
本当に心から相手を好きになっていたら、どんな家柄であろうが、どんな問題点があったとしても、どうしても結婚したくなるものです。
ですから、信用を飛び越える最も大切なことは、お客様がその商品を心から欲しくなるということなのです。欲しくなれば、その商品は何が何でも欲しくなるのです。
私が扱っていた宝石は、特に信用というものが大事な商品です。
しかし、お客様がどうしてもその商品を欲しくなったら、その会社の信用の有無や、その商品にどの程度の価値があるかさえも飛んでいき、その商品を買うことだけを考えるようになります。
ですから、信用を飛び越える方法は、その商品を好きになり、惚れていただくことに焦点を当てていったら良いのです。
佐藤康行「究極の営業プログラム」より
「信用にあまりこだわらないことが大切」だと言われています。一昨日、これを感じた出来事がありました。今度の伊勢講演会の主催者AさんとLineのやりとりをしていた時のことです。僕がAさんに、今自分がすごく避けていたことを取り組んでいる、鍋底のゴミに手を付けているところだ、と伝えた返事です。僕は今自分が大変なんだけど、以前だったらフラフラになってしまうであろうことに、そこまでフラフラにならなくなった、と変化を感じながら伝えました。
Aさんは、「そこを見なくてもいいんじゃないですか? 見つめたことが大きくなるんだったら、センサーいっぱい出して黄金の雨探した方がお得(^-^)思わぬところに落ちてるかも」と返してくれました。
大変だ、鍋底のごみを出そうとしてる、ところを見てるからフラフラにはならないけれど“大変だ”ということは大きく僕に大きく覆いかぶさっていました。
だけどそこを見るのではなく、黄金の雨、これでよかった、変化、愛、にアンテナを立ててみると、大きくなりそうな“大変”が小さくなっていきました。そしてむしろこれを乗り越えることによっての成長や変化に意識が行くようになったのです。
「信用を飛び越えるには欲しくなってもらうことです」と出てきました。僕はこの“欲しくなる”を意識するようにしています。
保険は“必要”という言葉で語られることが多いです。が、「“必要”だから仕方なく買おう」よりも「欲しい!買いたい!」と思ってもらって買った方がたくさん買ってもらえます。
以前このブログでも書いたかもしれませんが、ディズニーランドのお土産屋さんは百貨店売上ナンバーワンの伊勢丹新宿店と同じぐらい売り上げるそうです。そんなに売り上げるディズニーランドのお土産屋さんに、生活必需品は一つも売ってません(笑)ヒトは欲しいものを買いたいんだという一つの証左だと思います。
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昨日ブログに書き残したかった大事な気づきを書きます。
Aさんとのやり取りで心が軽くなり元気が出てきた後、移動しながらMDさんと電話しました。久しぶりのこのやりとりです。心を込めて「おかえりなさい」を言いました。
MDさんの近況を聞いたり、僕のこの1件を話したりしたんですが、1番の大きな気づきは1時間半僕が妻のゴミ出しを受け続けたこと。ゴミ出しで疲れて「もう寝る(怒)」となるまで、ゴミ出しさせてあげれたこと。
僕は妻にずっとゴミ出しさせないようにしてきていたんだ。ずっとゴミが溜まっているんだ。それを出せずにいたんだ。妻は僕に対して思いっきり暴言を吐けるくらい心を開いたんだ。安心して暴言を吐けるくらいの僕になったんだ。
そう思いました。
僕の人間関係の原点、父親と母親は僕たち子どもの前で一度もケンカをしたことがありませんでした。父も母もお互いの不平不満を言ったことがありません。
僕は「争い、悪口、不平不満を言うことは良くないこと」という価値観が強いと思います。そしてそれを裏返すように、僕は他人から悪口や不平不満を言われることに対して物凄く弱い。人一倍傷つきやすい、へな猪口。
妻の人間関係の原点、妻の父と母は、なんの躊躇もなく不平不満を相手にぶつけます。直接間接構わずぶつけます。
まだ結婚する前に、妻の家に行った時に僕の前で何のためらいもなく不平不満をお互い言いあっている妻の父母を目にして、違和感を感じたことを思い出しました。その時だけでなく結婚してからでもそれは変わりません。妻の父母、いや父母だけでなく妻も含め家族中そうです。素直に相手に不平不満を伝えるのです。
きっと妻は不平であれ不満であれ、自分の思ったことを素直に相手に伝える、表現するという価値感が強いんだと思います。
僕は今までその違いで相手を裁いていたんだと気づきました。妻のそういうところがダメだと。妻も妻の家族のそういうところがダメだと。表現を「ダメだ」ではなくプラスの表現に変えていただけで、裁いていたんだと思います。
だけどそこに良い悪いはない。
僕の父母は僕たちの前ではケンカしたことはないけれど、不平不満はきっとあったと思います。きっとそれを表現せずに溜め込んだり、自分で消化するようにしていたんだと思います。
妻の家族は不平不満を表現するから相手にもちゃんと伝わるし分かりやすい。溜め込まずその時その時で消化をする。不平不満は愛の訴え。
この価値観の違いで僕は妻を裁き、妻は僕を裁いてると感じていたんだ。でもそこに良い悪いはなくて、違いがあるだけなんだ。
ずっと妻は僕に不平不満を言いたかった。だけど思いっきり言えず溜め込んでいた。それを今回僕が想いっきりの不平不満を受けた。逃げずに受けた。きっと妻は少しはすっきりしたのかもしれない。僕も光のボックスを置きながら、不平不満を愛の訴えに変換しながらキャッチし続けれた。
僕は妻と付き合って、自分の情けないところを出しても大丈夫なんだ、と思ったことを思い出しました。妻と一緒にいる時にうっかりオナラをしてしまったって、妻は「ちょっと!」と言って、あははって笑ってくれました。それまで人前でオナラなんてできませんでした。ほんとにできませんでした。グッと我慢をして気づかれないようにそっと離れたときにしたり、時にはお腹の中にもどっていったり。
ああ、この子はオナラしても大丈夫なんだ。嫌いにならないんだ。受け止めてくれるんだって。
ケンカをするときでも、それまでの僕は自分の言いたいことをグッと堪えて自分の中で消化しようとしたり、それでも相手に伝えたいから連絡を絶ってみたりと遠回りな表現でしかできませんでしたが、妻に自分が伝えたいこと、不平不満を直接言ったら思いっきりケンカになったけど、お互い言いたいこと言い切ったらちゃんと仲直りできたこと。
そんなこと思い出しました。
不平不満は愛の訴え。これから不平不満を愛に変換して受けとめ、僕ももっと愛の訴えを表現して行こう。ケンカは愛のぶつけ合い。