恥ずかしさを克服する 挨拶

こんばんは。シラです。
今日も真我に焦点を合わせて毎日を過ごすためにブログを書きます。
お読みくださりありがとうございます。

今日、左脚の下肢静脈瘤の手術をしました。術後から弾性ストッキングというものを履きます、と説明を受けていたのに何にも考えずに半ズボンで行ってしまい、透け透け黒のストッキング丸見え状態で帰宅するハメに。。
佐藤先生の「恥ずかしさを克服する」という言葉が思い浮かびました(笑)

夕方、保育園の迎えから帰宅した妻が「○○先生に久しぶりにあったんだけど、あなたのことをすごい褒めてたよ」と教えてくれました。
僕は○○先生のことをよく知らず顔が思い浮かびませんでした。

どうやら○○先生は我が家の近くに住んでいるようで、僕が仕事に出かける時など道を歩いていて、すれ違う人すれ違う人に挨拶してる姿を時々見かけるそうで、「最近、そんな人なかなかいないよ〜。私、ゆーちゃんのお父さんにいつもほっこりしちゃう」と褒めてくれたとのことでした。

どこで見られてるのかわからないなぁと思いました。

この「挨拶」ですが恥ずかしさを克服する営業のトレーニングという意味合いだったり、真我の実践だったりするのですが、そもそものきっかけは上の息子でした。

ハンディを持って生まれた息子が生きていく上でどんなことが必要で、何を伸ばしてあげたいいのかをいろいろと考えてて、1歳で保育園に入園した頃に挨拶ができる子になって欲しいなぁと思いました。
また、その頃Tさんのサンタ営業基礎編に通っていて

第一印象は二度ない

笑顔

挨拶

みんな味方

みんな協力者

無敵

といったところから、息子が生きていく上で伸ばしていくべきはこれだ!周りの人たちが協力者になってもらえるような子に育って欲しい、そうしたらきっとハンディがあっても生きていける。
そう思ったこともありました。

で、息子に「挨拶しなさい」と教えるのではなく、僕が挨拶をする姿を見せて教えようと考えました。

当時保育園の送り迎えを僕がしていて、知ってる人は義理の姉しかいなかったのですが、保育園の先生だろうと園児だろうと誰かのお母さんだろうと誰彼構わず挨拶するようにしました。

今でこそ送り迎えをするお父さんは結構いますが、当時はまだ「イクメン」という言葉を流行させようとし始めたくらいの時代で送り迎えをしているのはほとんどお母さん達が主流でした。

息子が周りを協力者にする無敵に育って欲しくて始めた、「誰彼構わず挨拶運動」ですが、いつしか向こうから挨拶してくれるようになったり、いろいろ教えてくれたり、たくさんの人と仲良くなりました。
僕が迎えにいくと子供達がうわーっと集まってくるようになり、みんないろんな話をしてくれたり、なんかくれたり、中にはかんちょーしてくる子もいました(笑)
「いっぺんには話聞けないから順番ね」といったら行列ができたり(笑)
お母さん達の井戸端会議に混ざっている僕の姿を見て、義理の姉に笑われたこともありました(笑)


そんな息子の保育園時代のことを思い出しました。

それからも知らない人に話しかける営業トレーニング的意味合いだったりで知らない人にも挨拶することを続けているのですが、我が家は駅の近くで自動車大国愛知県の田舎の割に我が家の近くは歩いている人がまあまあいて、通勤通学している人もいます。

そんな中の1人、歳が30前後くらいの大人しそうな感じできっと工場か倉庫で現場作業する仕事だろうという人がいます。
彼は毎朝毎晩たぶん決まった時間に我が家の前の道を歩いて駅を利用しているのですが、時々すれ違います。
最初に僕が挨拶をした時はかなりびっくりした顔をして早足で去られました。
次に会った時には挨拶を返してくれました。
それから僕が挨拶をすると挨拶を返してくれるのが続いたのですが、彼とは朝しか会ったことがありませんでした。
で、ある日の夕方僕がスーツではなく普段着で娘と手をつないで歩いていたら

「こんばんは」

と挨拶をしてくれる人がいました。娘が危なくないようにと娘を見ていた目線をあげると彼でした。ちょっと薄暗かったし、いつもとシチュエーションが違うし、すれ違う方向がいつもと逆、しかも僕はまったく気づいていなかったのに、なんと彼の方から挨拶をしてくれたんです。
「よし!」という気持ちになりました(^^)


最近は、トレーニングだとかなんだとか肩肘張らず自然と挨拶することが身についてきたのかあんまり意識したことがなかったのですが、今日は妻と話をしていてそんなことを思い出したので書いてみました。