もしも1人の人間が1つの細胞だったら

こんにちは。シラです。
今日も真我の実践に焦点を合わせて毎日を過ごすためにブログを書きます。
お読みくださりありがとうございます。

最近のマイブームの一つが「父母先祖、全人類」です。

昨日は夜、家で家族に誕生日をお祝いしてもらい、そのまま子どもたちをお風呂に入れて寝かしつけまでやったらミイラ取りがミイラになってしまい、こっちも朝まで寝てしまいました。

油断した(>_<)

、、、。

という訳で、夜に実践プログラムvol.4を聴けなくて、今朝聴きました。vol.4の中にある「父、母先祖代々のニーズ、シーズ、神シーズ」と「お父さん、お母さん、先祖様、自分の周りにいるすべての人達の美点、すべての人達の素晴らしさ」を書き出すワークを音声聴きながらやりました。

美点、素晴らしさを書き出しているときに、あぁ!ということがありました。

人間は60兆の細胞からできている。1億分の1の精子が卵子と結合したった1つの受精卵から細胞分裂をして60兆個の細胞にまでなり1人の人間になる。

ある細胞は死んでも、生きている細胞がまた細胞分裂を繰り返していて、人間としては生きてる。

もしも1人の人間を1つの細胞と置き換えてみたら…

もし仮に僕が死んでも、子どもたちが生きて次の世代、次の世代と細胞分裂を繰り返していく。僕という個が死んでも生きている。
これを遡ればご先祖様からずっと生きている。そしてこの先もずっと生きている。

佐藤先生が「永遠の命」「死なない」と言っているのはこういうことなの??

先日ブログに書いた「サピエンス全史」じゃないけれど、この遡るのを人類創生よりさらに前の生命誕生から見ると、あらゆる人間も人間以外の生物、生命も代々細胞分裂=世代交代しながらずっと生きている。全ての生命体。

そんなことが頭をよぎったら、地球として一つ、宇宙として一つ、すべてのすべて、みたいなところをブワッと感じました。

1人の人間を1つの細胞と置き換えて視点を変えてみたら「佐藤先生が言ってることはそういうことなの?」というのが直感的にバチバチっとつながって、プログラムの聴こえ方がまた変わりました。。

それと「前提に置く」というところがちょっと腑に落ちてきかけています。

ああ、そういうことだったんですね、という感想です。
今までプログラム聴きながらワークするってことをあまりやってなかったけれど、やった方がいいなと感じました。

vol.1からの繰り返し、まだvol.4ですけど面白いです(^^)