学長講座行動編 受講後② 二度とない一度の人生だから

おはようございます。シラです。
今日も真我の実践に焦点を合わせて毎日を過ごすためにブログを書きます。
お読みくださり本当にありがとうございます。

佐藤先生の行動編を受講して講座終了後、携帯電話の電源を入れるとたくさんのLINEやメッセージが入ってきました。
「相談していた保険の契約手続きを進めて欲しい」というやっぱりな!という内容から、妻から子どもたちが近所の公園で水遊びしてる写真など様々な内容のメッセージの中に、「主人が亡くなりました」というメッセージがありました。


そのお客様は僕の4つ上で子どもが小1と年少さんの二児のお父さん。
ちょうど同世代の方。
お客様の紹介で3年前に出会いました。

「訳あって僕は保険には入れないけど、妻で子どものためにお金を貯める保険に入りたいんです」

奥さんの勤務先である総合病院の喫茶店でお会いしました。

話を伺うとがんの治療中ということでした。
面談場所の指定は奥さんの勤務先でもありその方の入院先でもありました。もうその方は保険に入ることはできないけれど、もう既に入っている保険についても契約内容を見せていただきアドバイスをさせていただきました。

子どもの年齢でもがん保険に入れることを知ったら、「ぜひ僕のようになってしまったときに困らないよう入ってあげたい」と子どもさんたちの保険も預かりました。

5年生存率の低い難しいがんで手術が成功したものの転移が見つかり、抗がん剤治療をしててすでに4年頑張っているとのことでした。
入退院を繰り返しながら仕事も続けていました。
入院先のその病院が僕の家から近いこともありお見舞いに行ったり、子どもを病院に連れて行ったときに偶然ばったり会ってお話したこともありました。

佐藤先生の『満月の法則』の本が出た時に、本をもってお見舞いに行きました。「僕は全然本とか読まないけれど、入院中は暇だし読んでみます」と言ってくれました。


講座受講直後に飛び込んできた知らせに、悲しみとともに

「どんなメッセージがあるんだろう」

講座中佐藤先生が「メッセージと捉える」という話をしてくださったことを思い出し、どんなメッセージなのかを考えました。

佐藤先生の本を渡すだけでなく、もっと僕にできることがあったんじゃないか…。もっと真剣に伝えれたのにできなかった、しなかった…。その方の命が懸かってたのに。

自責の念に駆られそうでした。

頭の中がグルグルしながら出てきた答えは

「もっと真剣に生きよう」

でした。

講座中佐藤先生が発した一言

『人生一発勝負』

この言葉が浮かび上がり、「二度と無い一度の人生だから」がグルグルしました。

二度と無い一度の人生だから

二度と無い一度の人生だから
だから私は、生きる使命を見つけ
その使命を全うします
二度と無い一度の人生だから
だから私は、泣いたり笑ったり
本気で生きます
二度と無い一度の人生だから
だから私は、人を愛し自分を愛し
あらゆるものを愛します
二度と無い一度の人生だから
だから私は、私の持てる全ての力を
出し切ります
二度と無い一度の人生だから
だから私は、人を妬んだり恨んだり憎んだり
時間のロスをなくします
二度と無い一度の人生だから
だから私は、喜びも悲しみも天が私に
与えてくれた愛として受けとめます
二度と無い一度の人生だから
だから私は、魂を自覚し愛の塊で
人と社会の中で生き抜きます
二度と無い一度の人生だから
だから私は、愚痴や不満のない
喜びにあふれた人生にします
二度と無い一度の人生だから
だから私は、人の失敗、迷いを
大きな心で包みます
二度と無い一度の人生だから
だから私は、自分と人の身体と心と魂を
大切にします
二度と無い一度の人生だから
だから私は、神が私に与えてくれた天寿を
全うします

二度と無い一度の人生だから

佐藤康行「成功と幸福を呼ぶ言葉」より


そして昨日、葬儀に参列しました。

喪主である奥様が出迎えてくれて

「シラさん!来てくれてありがとうございます。主人がお借りしたあの本、お返ししますね」

「〇〇さん、ご主人ほんとうにがんばったんですね。あの本はご主人に差し上げた本です。落ち着いたら〇〇さんも読んでみてください。
一度落ち着かれたらご連絡ください」

『満月の法則』の本のことがいの一番に出てきました。
読んだか読んでないかはわからないけれど、かぶせ押し付けではなく受け取ってくれていたんだと思いました。

悲しみと「もっと本気で生きてください」というメッセージが頭の中をグルグルするなか参列し、「真我の実践」唱えながらお坊さんが読経するのを聞きながら個人の遺影をずっと見つめてました。

途中から神成瞑想でよくあるように遺影を中心にグワングワンと周りが動きました。

そのまま「真我の実践」を唱えながら遺影を見つめてたら、ハッとしました。

「故人は素晴らしい人生だった」

「最高に幸せな人生だったんだ」

そう感じ取れたんです。なぜだかわからないけれど。

故人の生い立ちの紹介や読み上げられる弔辞、友人代表挨拶、弔電を聞きやっぱりそうだ確信しました。

僕は晩年の闘病中に出会い全く知らなかったのですが、故人は自転車競技で高校生の時に大学生社会人を破り日本チャンピオンになったそうです。勤務先のチームにスカウトされ日本代表としてオリンピックに出場、その後も何度か日本一にもなり競技引退後もチームの監督として活躍していた。そんな人生だったそうです。

僕が知ってる彼は子どもたちと妻のことを思いやる優しいお父さんという一面しか知りませんでしたが、短かったかもしれないけど思いっきり命を輝かせた人生だったんです。
そしてまた奥さんとの出会いでその縁で最高の医師に診てもらい奇跡的に手術が成功した。2人の男の子に命をつないだ。
体調が良い時にたくさん旅行に出かけ思い出もいっぱい作れた。
歴代日本一が集まるレースの参加オファーを受け、病気にもかかわらず参加しレースをし、その姿を愛する2人の子どもに見せて「お父さんかっこいい」って思わせることもできた。
短かったかもしれないけど最高に幸せな人生だったんだな、、

落ち着いたら一度奥さんと会う約束をしてます。
彼がいかに幸せだったか
そしてあなたがいかに彼に幸せを与えたか
あなたがどれだけ幸せか
もし、彼女が求めたらそれを真剣に伝えようと思います。


自分の気づきを2つ書きます。

1つは、自分が気づかなかっただけで“日本一”の人が周りにいた。
もしそのことを生前に知っていたら、いろいろ訊いてみたかった。

もう1つは、かからなかった。
葬儀参列途中まで奥さんや幼い子どもたち、逝ってしまった故人の気持ちを慮ると自分が悲しく辛く感じましたが、「最高の人生だった」「幸せだった」ことに気づいたら変わりました。

行動編受講にあたりずっと思っていた「行動を加速させたい」という気持ち。

お客様の死を通して、答えをいただきました。

二度とない一度の人生だから