2年半握りしめていたことをワンアクションで気づかされ、一言で手放せた

おはようございます。シラです。
今日も真我の実践に焦点を合わせて毎日を過ごすためにブログを書きます。
お読みくださりありがとうございます。

今朝、瞑想をしていて「心はどこにあるの?」と浮かんできました。
脳は頭のここにある、心臓は胸のここにある、じゃあ心ってどこにあるんだろう?
胸のあたりにありそうだけど実態は無い。
だけどある。
心ってどこにあるんだろう??
「無い 在る」
と関係してる気がして、今度佐藤先生に訊いてみようと思いました。


昨晩は西尾友の会。
今朝の妻との会話

妻「ねぇ、友の会って何やってるの?
また3人でやったの?
日曜日も3人で東京行ってきたのに??」

シラ「うーん、近況報告だったり最近の変化したことや気づいたことを話してフィードバックしてもらう会かな。自分じゃなかなか気づけないことが分かっておもしろいんだよ。たまたま昨日は3人だったけど、別に3人だけでやってるわけじゃないけどね」

妻「復習みたいなことしたの??」

シラ「復習が目的ではないけど、昨日は結果的に復習になったかな~」

妻「ふーん、もうほんとに仲良しだね(苦笑)」


昨夜の友の会、学長の行動編の翌日なだけに復習になりました。
小学校のときから先生は「復習は大事だぞ」と言ってたけれど、やっぱり大事だと思いました。
近況発表を聴いてのフィードバックに「昨日、佐藤先生はこうやって言ってたね」「昨日、その話がまさに出てきてたね」ってことがたくさんありました。特にTさんの話の時にそうだった気がします。

僕は3つの話をしました。

①講座の最初の方にあった『自分の欲求』について話しました。
小さい頃から『自分の欲求』を抑えてる、『自分の欲求』が小さいのかもしれない。

②『あの頃の感覚』に戻りたい、まだ戻れない。人生一発勝負。『あの頃の感覚』とは真我開発講座直後の頃の感覚です。

③あの人にもっとできることがあったんじゃないか。

①については僕にとってすごく大事なところのように感じてます。
いわゆる急所で、テーマです。③についてはまたの機会に書こうと思います。今日は②について書きます。

②について、Mくんのフィードバックでスコーンとスッキリしました。真我開発講座を初めて受講した頃だから3年前。3年前の感覚が半年後には再び壁にぶち当たり心理的に追い込まれて、それ以来その初受講の頃の感覚はなくなってしまい、僕はずっとそれを求めていました。

「あの時こそ真我が溢れて溢れて仕方なくて、真我を拓いて毎日を生きていたんだ」

「まだまだあの時のような感覚じゃないから、真我が溢れてないんだ」

そんなふうに捉えて2年半ほど過ごしてきました。
もしかすると一度拓いた真我が閉じてしまったんじゃ…とさえ思う時も多々ありました。
実際先日受講した行動編の事前アンケートにも

「もっと真我を拓いて毎日を生きるには?」

と書いていました。

昨日の友の会でMくんがフィードバックをしてくれる順番の時に、Mくんが開いた手をギュッと握りしめました。

「あ!!そうだったんだ!」

僕は『あの頃の感覚』を素晴らしい景色の写真としてずっと握りしめていることに気づきました。
でもずっと握りしめてることは分かったけれどどうやって手放したらいいの?と思っているとMくんが質問をしてくれました。

「シラさんは『あの頃』と『今』とどっちが結果が出てるの?」

あの頃は仕事の業績が4倍になりました。
だけど数か月したら戻ってしまいました。
今は4倍になった業績の6倍、4×6=24倍の業績が出せました。
先月も4×3=12倍の契約をいただきました。
まだムラはあるけれど、昨日に「毎日でも年収分の契約をとれるような自分になる」ことを佐藤先生と約束したばっかりでした。
これからもっと業績が上がることはまちがいない。

数字を見たら明らかに今の方が良い状態でした。

数字だけじゃない。あの頃は妻に講座に行くことも隠して受講したり、「こんなにがんばてるのに妻は全然自分のことわかってない」と思いながらやってたりしたことを思い出しました。
今は酔っぱらってTさんやMくんの奥さんに「とっても幸せなんです~」とのろける妻です。夫婦の関係も明らかに今の方がいい。

Mくんの問いかけに答えたら握ってた『あの頃の感覚』をパッと手放して、今の自分をもっと認めることができました!
なーんだ、あの頃よりさらに良くなってるじゃないか!!

あの頃はもしかしたらびっくりしてたのかもしれません。
そう思いました。

今の自分をそう捉えることができて、今朝瞑想をしていた時に「問題からスタートするのか完全完璧からスタートするのか」というのが浮かんできました。
佐藤先生の著書「神さまの鏡」に出てくることです。
せっかくなのでその個所を読み返しました。

問題の答えは問題です。問題と捉えるその心で解決策を考えても、そこから導かれる答えは、次の問題となります。ですから、『完璧』であるというところからスタートするのです。
答えはもう決まっているのです。

佐藤康行『神さまの鏡』P135より

今日のブログ、オチもなくうまく締めれませんが、まあそういうことでした。

知らず知らず2年半握りしめていたものをMくんのワンアクションで気づかされて、問いかけ一言で手放せた。
Mくん、ありがとう。
今の自分を認めれました!