サンタにならなくていい

こんにちは。シラです。
今日も真我の実践に焦点を合わせて毎日を過ごすためにブログを書きます。
お読みくださりありがとうございます。

昨日ブログに書いた、チラチラ見え隠れした自分でも気づかない何かに混乱していた大きなフラグが一晩でガラリと変わりました。夜にN川さんからLINEをもらい、やりとりをしているうちにその正体が分かり浄化しました。今とても穏やかでとても幸せです。

自分でも忘れていた子どもの頃。

たぶん記憶のある幼稚園とかそれくらいの幼い時から、周りに嫌われないように自分の感情にフタをして、周り相手に合わせて生きてきた。自分よりも相手を優先させることで嫌われないようにしていた。誰一人からも嫌われたくないと思ってた。

子どもながらに、相手を喜ばせれば自分のことを好いてくれる、嫌われない、相手のして欲しいことをするというのを無意識に身につけ、いつの間にか“自分”をどこかに置き去りにしてきてしまってた。

相手の喜びそのものが自分の喜びではなく、自分を認めて欲しくて相手を喜ばす。

サンタそのものではなくて、サンタになる。

感覚的なものでうまく言葉にできませんが、そんな感じで物心ついたころから今までずっと無意識にそうしてきたんだ。

「サンタさん営業ドロボー営業」の本を読んだ時も、すごくしっくりきたし、サンタ営業を学んでいっても「そうだそうだ」ということばかりだったのはあたり前だ。

でも似て非なることだった。

僕は無意識にサンタになることを生きる術として身につけ、そうすることでずっと生きてきたんだ。サンタになって認めてほしかった。愛してほしかったんだ。

親のニーズ、先生のニーズ、友だちのニーズを満たすことで自分を認めてほしかったんだ。

幼いながらも親、先生、友だちのニーズを察知して満たそうとしていた。小さい頃からずっとずっと無意識に「欲求発見」してた。自分を認めてもらうために。

サンタ営業、真我に出会ってからの僕はきっとサンタになっている時とサンタそのものの時がごちゃごちゃになっていたと思う。

「躊躇してる」「まだ出せてない」「もっと出せる」と感じていたのは、これでした。

ほんとに自分でも知らず知らずに、生きていくために“サンタクロース”という鎧を身にまとっていたんだ。
自分を制限していました。
認めてもらうために。

「出していいんだよ」

「大丈夫だよ」

もっと奥の自分がそう言ってくれました。

今こうして書いてても涙がボロボロ出てくるんですが、昨晩妻が不在でボロボロ泣きながら子どもたちとご飯食べたりやお風呂に入りました。子どもたちと布団に入り電気を消して、そのまま泣きながら寝てしましました。

N川さんとのLINEのやりとりは途中になってしまい、とてももったいないことをしました。どんな出来事があってそうだったのかなどはわかりません。だけどこの途中がけのやりとりでもこの上ない幸せな時間でした。

今日も妻が一日仕事で僕は主夫業です。
子どもたちがケンカをしたり、下の娘がギャーギャー言ったりするのですが、近くにいって「どうしたの?」と顔を見るだけで「こーちゃん、ありがと」「うん、ゆーちゃんごめんね」などと仲直りしたり、再び楽しそうに遊んだりしてます。

「ああしてやろう」「こうしてほしい」など一切なく、ただただ顔を見るだけで。

サンタにならなくていい。本当の自分はサンタそのものだから。