おばあちゃんとの対話

こんにちは。シラです。
今日も真我の実践に焦点を合わせて毎日を過ごすためにブログを書きます。
お読みくださりありがとうございます。

「よし、今日だ、今日会いに行こう」

11年会っていないおばあちゃんに会いに行ってきました。

僕が子どもの頃に僕が遊びに行くのをいつも楽しみにしてくれていたおばあちゃん。新婚旅行のお土産をもって会いに行ったのが最後、それ以来会いに行っていませんでした。その時ですらもしかしたら10年ぶりくらいだったかも知れません。すで認知症がはじまってて、本気か冗談か「どちらさんだった?」と言われちゃいました。

おばあちゃんに会いに行こうと決めた日のブログ

こんにちは。シラです。 今日も真我の実践に焦点を合わせて毎日を過ごすためにブログを書きます。 お読みくださりありがとうございます。 もう10年会っていないおばあちゃんに会いに行こうと...

今、どこの施設にお世話になっているのかすら知らなかったから、おじさんに電話をして教えてもらいました。

「おばあさん、元気だけど、もう完全にぼけちゃってるからお前が行ってもわからんと思うけどよお、お前はおばあさんに一番かわいがってもらったから、そりゃあ会いにいってやればおばあさんも喜ぶだら。俺のこともよく分かっとらんけど、たかしって名前だけはおばあさんも覚えとるで」

教えてもらった施設に電話をして、会いに行っても大丈夫か聞いてみると担当してくれている方が「おばあちゃん、喜びますよ。いつでも大丈夫だからぜひいらしてください」との返事。

雨がザーザー降る天気でしたが、おばあちゃんのいる長野県に近いところまで、車の中で前日の名古屋フォローの録音音声を聴きながら愛知県を縦断しました。


駐車場に車を停め、眼鏡をはずして内観光受をしました。
涙を拭いて鼻水をかみ、おばあちゃんを思い浮かべて「早く会いたいな~、早く会いたいな~」をやりながら施設の入り口まで歩き、会いたい気持ちを加速させて談話室のドアをあけました。

「こんにちは!〇〇〇〇の孫のシラです。おばあちゃんに会いに来ました」

「あらー!」

忙しそうにバタバタしていたであろう職員さんたちが手を止め、談話室でテレビを見ていたおじいちゃんおばあちゃんたちも、全員一斉に僕の方を見て明るい笑顔で迎え入れてくれました。

「よくきてくれましたね!え~っと…、あっいたいた。シラさんのおばあちゃん、あそこに座ってますよ。どうぞどうぞ」

11年前に会った時はまだ頭もだいぶしっかりしていたけれど、「家に帰りたい、家に帰りたい。息子にいじわるされてる。息子が家に帰してくれない」と言ってて、昔のやさしいおばあちゃんとは変わって凄い腰も曲がって愚痴や文句が現れてるような顔つきでしたが、別人のようでした。

真っ白になった髪の毛もきれいに整えられて、背筋もシュッとして座ってて僕の方がよっぽど猫背じゃないかというくらい、きちんと椅子に座っていてとても穏やかな顔つきをしてました。
貴婦人という言葉が浮かびました。

(おばあちゃん、こんなきれいな人だったんだ…)

ニコニコしながらも不思議そうになんで私のところに来るんだろう??といった表情で僕を見ています。

「おばあちゃん、僕だよ。孫のたかしだよ。おばあちゃんに会いに来たよ」

「ああ、そうかねそうかね。よくきてくれたね。誰かここに知った人がいたかね?」

「うんん、いないよ。おばあちゃんに会いに来たの。おばあちゃん元気そうだね」

「そうかそうか、ありがとね。おかげさまでねえ、体は元気だけれども90も超えてねえ長生きさせてもらってるけど、頭の中はクルクルパー!あははは」

「おばあちゃん、体は元気で食事もトイレも自分でやってお風呂も少し手伝うけど自分で入れて洗濯物とかは手伝ってくれるんですよ。認知症は進んでるけどとってもお元気ですよ」
と職員さんが教えてくれました。

もう覚えてないと思うけれど、僕が子どもの頃におばあちゃんにしてもらったこと、愛してくれていたことを話して感謝を伝えました。

「ああ、そうだったかねー。ありがたいねえ。もうね、ここで毎日遊んで暮らしてる。家は変わりないかね?」

「うん、変わりはないよ。おばあちゃんもとっても元気そうだね」

「ああ、おかげさまでねぇ、長生きさせてもらってる。毎日ここで遊んで暮らしてるよ。身体は元気だけど90も超えたから、頭の中はクルクルパー!あははは!」

「あははは!おばあちゃん、そうなんだねえ!面白いね。おばあちゃんが一番楽しいことってなあに??」

「楽しいことか?ここの人とおしゃべりして楽しいよ。毎日遊んで暮らしてる。何度も聞くけど、誰かここに知った人がいたかね?」

「ああ!そうか!おばあちゃんおしゃべりするのが1番楽しいんだね!僕はここには誰も知った人はいないよ。おばあちゃんに会いに来たんだ」
(このまえN川さんが「人間は基本的にお喋りしたい生き物、おしゃべり大好きという前提」といってたのホントだ…)

「そうかそうか、ありがとね。ところで誰だったかね?」

「僕はおばあちゃんの孫のたかしだよ。ずっと会いに来なくてごめんね」

「私の孫!?そうだったかねー。」

「うん、そうだよ。今日はおばあちゃんに久しぶりに会いに来たの」

「そうかそうか、ありがとね」

「おばあちゃん、とっても元気そうで楽しそうで良かった!」

「おかげさまでねぇ、長生きさせてもらってる。ここで毎日遊んで暮らしてる。体はおかげさまで元気だけれど、90も超えて頭の中はクルクルパー!あははは!」

「あははは!面白いね。楽しいね」

「ところで何度も聞くけど誰だったっけ?」

「おばあちゃんの孫のたかしだよ。おばあちゃんに会いに来たんだよ」

「あのー、頭がクルクルパーで忘れちゃうからここに名前を書いておいてくれないか」

「うん、いいよ」

ぼくは孫のたかし

おばあちゃんに会いに来たよ

今日はとっても楽しかったよ

またおばあちゃんに会いに来るね

書いた紙を渡すと

「孫!私の孫か!?ありがとね。奥さんはいるか?」

「うん、いるよ。子どもも2人いるよ。おばあちゃんのひ孫だよ。今度連れてくるね」

「ひ孫!はー。みんな元気にしてるか??」

「うん、みんな元気にしてるよ。今度連れてくるね」

「ここに奥さんの名前も書いておいてくれ。忘れちゃうから」

「はー、奥さんいい名前だね。元気にしてるか?よかったねえ」

「うん、元気元気。今度1回みんなで遊びに来るね」

「ありがとね~。うれしいね~。長生きさせてもらってありがたい…。また来てね」


壊れたテープのように同じことを何度も繰り返し、最後は予定調和の漫才のようにオチがあっておばあちゃんと二人で笑う。
1時間くらい同じことをお喋りしました。
あっと言う間でした。

認知症が進行し過去の記憶が薄くなり我がほとんどなくなり、おばあちゃんは真我だけで生きているようでした。
なんにも執着はないし、過去を忘れ、今を生きる。
とても穏やかで、楽しく笑い「ありがとう」「おかげさま」って言葉ばかりでした。

自我が芽生えイヤイヤ期真っ盛りの2歳の娘、2年分の過去の記憶経験だけ積み重なり、自我が形成されてきてます。
93歳になるおばあちゃんは認知症によって93年分の過去を忘れ自我が薄れていってます。

認知症は“元に戻ろう”と働く宇宙の真理、神の働き…。

職員さんにお礼を言って帰るとき

「びっくりしました。おばあちゃん、耳が遠くてほとんど聞こえないはずだけど…」


ついでにもう少し足を延ばし30分ほど車を走らせ、お墓参りに行きました。
母方の在所のお墓は山の中腹にあります。
車では行けない登山道をザーザーの雨の中登り、お墓のあるところに着きました。お墓が8個並んでます。
ご先祖様が並んでいます。

墓石の前で傘を差しながら内観光受をして、成功と幸福を呼ぶ言葉と原点の心を読みました。

墓石が風化してなんて書いてあるか読めないものもありますが、読めるものを読みました。おじいちゃんやおじさんの名前。名前しか知らないご先祖。何とか読める墓石に天保〇年と書いてある墓石がありました。歴史の授業で習った天保の改革の天保です。
脈々と続く生命の継承。

この人が何代前のご先祖様かわからないけれど、とんでもない数のご先祖様いることを以前に計算しました。
10代遡ると2千人
20代遡ると209万人
30代遡ると21億4千万人

おはようございます。昨夜Tさんが会長を務める会の委員会がありました。14,5人メンバーがいるのですが、年度が始まってからずっと4,5人しか毎回集まりませんでした。みんな理由をいろいろ言いますが、恐らく...

膨大な数のご先祖様がつないでくれたからこそ僕がいて、次へつないでいく。

草葉の影でとんでもない数の人が見守っていてくれている。

そんな膨大な数のご先祖様がいて、生きてるご先祖様代表の1人のおばあちゃん。

そんなおばあちゃんと対話。
表面上の認識できる言葉では壊れたテープのようでしたが、
その奥にある認識でないところでは愛・感謝・喜びでひとつでした。