毎日がトレーニング、毎日が本番

おはようございます。シラです。
今日も真我の追求に焦点を合わせて毎日を過ごすためにブログを書きます。お読みくださりありがとうございます。

最近、2歳の娘のゆーちゃんのイヤイヤが顕著になってきました。
世にいう魔の2歳時真っ盛り。妻のイライラと疲労が蓄積されてます。

「ねぇ、どうして私だとあんなに何にも言うこと聞いてくれなくて、あなただと『ハイ』とかって言うこときくの??」

「最近、前にもましてイヤイヤになってきてなかなか手強いよね 苦笑」

「だけどなんでゆーちゃん私の言うこときいてくれないんだろ… はぁぁぁ」

「ゆーちゃんをコントロールしようとしてない??
オレは自分もそうだけどコントロールされたら余計反発したくなっちゃうから、そうじゃなくて、やりたくなるにはどう言ったらいいかな?って意識してるよ。

どうやったらお風呂に入りたくなるか?着替えしたくなるか?ご飯食べたくなるか?」

お風呂入ることの付加価値を乗せていく、着替えの付加価値を乗せていく、ご飯の付加価値を乗せていく…

言葉編のトレーニング(笑)


先日、こんなことがありました。

ゆーちゃんがこーちゃんのwiiUで遊んでて(正確には遊んでない、持って弄ってるだけ)、

「ゆーちゃん、かえせ!!オレのだぞ!!」

とwiiUのコントローラーを引っ張りました。

「ヤダ!!ゆーちゃんの!!」

引っ張り合いです。

「もー!!二人ともやめて!!ゆーちゃん返しなさい!それにーちゃんの!!こーちゃんもひっぱらない!!あぶないでしょ!!」

と妻。妻の怒鳴る声に反応して引っ張り合いはエスカレート。よくあるカオスな状況です。コントローラーをこーちゃんに渡したくなるようにするには…
もちろん2歳時に正論は通じません(笑)

「ねえ、ゆーちゃん。パパおなかがすいちゃったんだけどご飯作ってくれない?ハンバーグとお寿司がいいな~。あーーお腹空いた~」

「いいよ、ぱぱ おなかすいた?まっててねー。こーちゃん、はいどうぞ。ゆーちゃん ぱぱのごはんつくってくゆ」

おままごとセットの台所へ(笑)

31手放す

よく、執着を手放せと言うが、そう簡単に手放せるものではない。
強引に手放そうとすると、同時に大きな抵抗が生まれ、より執着してしまうのだ。
そうではなく、執着して握っているモノよりも、もっと価値のあるものを発見できたら、自然と握っていたものを手放せるのである。
モノやお金にどれだけ執着したところで、自分の命には代えられない。
人が、命そのものでもある『真我』に目覚めるとき、その大いなる愛そのものの喜びの体験をし、「お金もモノもプライドも、全て真我の代替品を追い求めていたに過ぎなかった」ということに気付き、執着していたものを自然に手放せるのである。

佐藤康行『図解 神のメッセージ2』P82


ある日のこと

「ママー、いっしょにゲームやろう」

「ゲームいいよ。だけどその前にやることやってからね。宿題やったの?チャレンジパッドやってないでしょ。コップだした?明日の準備は・・・」

「わかってる!!怒 ああ!もううるさいママだなあ!!」

・・・・・・・

別の日

「パパー、いっしょにゲームやろ!」

「ゲームいいね!ゲームやろう!!(欲求発見即クロージング 笑)

そして宿題とかチャレンジパッドとか明日の準備してからやろう。その方が思いっきりゲームやれると思わない?パパはどっちでもいいけど…」

「うん!オレ先に宿題やるわ・・・」

日本語の文脈的にはあってないし、おかしいけれど敢えて「そして」と使ってみたらこーちゃんの反応が全くちがう(笑)
ゲームやりたいこーちゃんを全受容全肯定??

日本語がおかしくても「だけど」「しかし」「そうじゃなくて」というような言葉を「そして」に置き換えて使ってみようと思いました。


先週末に運動会を終えたところですが、こーちゃんがよく呟いていました。

「れんしゅうは本番のように 本番はれんしゅうのように・・・」

小3ともなると深いことを学んでくるんですね!!

毎日がトレーニング、毎日が本番です。