シラ、タテを語る

おはようございます。シラです。
今日も真我の追求と仕事の実践に焦点を合わせて毎日を過ごすためにブログを書きます。
お読みくださりありがとうございます。

一昨日、妻のおばあちゃんの1周忌。

お寺さんがカチカチと拍子木を打ちながらすごい速さでお経をあげながら忙しそうに時々チーンと鳴らしている姿を見て、不謹慎かもしれませんが、ラッパーがソロライブをやっているみたいだ…と想像して笑えてしまいました。

座禅をしたり、瞑想をしたり、拝んだり、滝行やったりお祓いをしたり。
なんだかよく分からないから、そんな子供じみたこともやってる。

人間の業・カルマ、そのイヤココロ、汚れた心をお祓いをするとかさ。
未だに現代社会でお守りみたいなもので良くなるんじゃないかとかさ。
まるで子供のような幼稚な部分でやってるわけ。

実践プログラムのこの部分が頭に浮かびました。

(このお経って何をいってるのか全く分からないけれど、お経が生まれた当時のままなんだろうか??
当時の人たちは意味も分かったのかな??)

そんな疑問が浮かんできたので法事が終わったあとググってみました。

お坊さんがラッパーだと想像してたことをグーグルに見透かされてた。

いろいろ調べてて、般若心経が「無い」をいっていることを知りました。

『般若心経』は短いお経であり、おそらく日本でもっとも広く知られているお経である。 知られるだけの内容が、確かにこの経典には存在する。 ただ、読めばその内容が理解できるかといえば、それは難しいと言わざるをえない。 基礎的な仏教の知識がなければ理解できない言葉がいくつもでてくる。 余分な言葉を削ぎ落とし、エッセンスだけで構...

「無い」の先の「在る」は書かれていませんでした。
そうだったんだ。


法事の後、みんなで食事をして甥っ子姪っ子がうちに泊まりに来ました。ゲーム大会・大UNO大会をみんなで楽しみ、子どもたちが力尽きて眠りにつき、久しぶりに妻と2人飲みながらいろんな話をしました。

「今日の法事の時、どれだけの人がおばあちゃんのことを偲んでるんだろう?って私キョロキョロしちゃった」

そんな一言から会話が始まりました。

昭和一桁生まれのおばあちゃん。おばあちゃんが一生懸命生きてくれたおかけでお母さんがいて、あーちゃんがいて。だからこそこーちゃんゆーちゃんがいるんだよね。おばあちゃんが一生懸命生きていなかったらこーちゃんもゆーちゃんもいなかったじゃん。

元気だった時はあれだけ厳しくてイヤだ嫌いだって言っていたおばあちゃんにもお父さんがいてお母さんがいたんだよね。俺らが「幸せに生きていって欲しいね」ってやまない願ってやまないこーちゃん・ゆーちゃんを思うように、同じようにおばあちゃんのことを「幸せに生きて欲しい」って同じように願ってたお父さんお母さんがいたんだよね。

もっと言うとおばあちゃんのことを小さくてかわいくて仕方ない、目に入れても痛くないって思ってたおじいちゃんおばあちゃんがいたんだよね。同じように。

それがさ、ずーっと続いてるから今があるってことだよね。

そんなタテの話をを酔っぱらいながら話してました。「あなたはビールどうぞって昼から飲んでしっかり昼寝したから元気だけど、わたしは眠いからもう寝る!」って布団にもぐって、ちょっと涙してる感じでした。

自分→こどもへの、こんなに成長して…って嬉しい気持ちや愛してやまない気持ち、将来幸せに生きていって欲しいって親の気持ち。

これが脈々と続いているってことを、

「在る」ということを、

布団に潜った妻に向かって酔っって饒舌に語りました(笑)

コメント

  1. 新留 敏憲 より:

    こちらでもお会い出来るとは思ってもみませんでした。どうぞよろしくお願い致します。
    私は、代々の浄土真宗西本願寺とは別に真如苑に結ばれています。浄土真宗のお経は読めませんが真如苑のお経は、真言宗醍醐寺のものがベースですが、こちらは毎日読経しています。意味不明な咒(ジュ)もありますが、そのまま読んでいます。醍醐寺で修行され、真言宗のすべての修行を終えた方が、密教であるが故にすべての人を救えないと思い更に研鑽を積みお釈迦様の遺言の教え大般涅槃経を読み解き、これを経典の中心にして一宗一派を興された教団です。

    • シラ より:

      新留さん、コメントありがとうございます!僕もびっくりしました!
      こちらでもどうぞよろしくお願いします。
      今回お経の現代語訳を読み、お釈迦様が何を伝えたかったのかが少し分かりました。
      ややもすると形式にすごく囚われているように思えて、もっと言わんとしている本意を掴んだらいいのに…と思ってしまいました。
      先日のお寺さんの説法も正直説法してる住職自身が腑に落ちていないように感じて伝わってくる迫力が…でした。
      すべては「無い」そしてその先に神、仏、真我、愛、言葉はどれでもよいと思いますが「在る」と言われる佐藤先生の伝えてくれてることがあってお経の現代語訳や住職の説法を聞いてとても面白かったです。