生命保険を扱うということの重み

暴風警報の解除をこーちゃんに伝えると、塗り絵をしてる手を止め落ち込みだす(>_<)
そして、体温計で熱を測り出しました(笑)
その気持ちよく分かります。

こんにちは。シラです。
今日も真我の追求と仕事の実践に焦点を合わせて毎日を過ごすためにブログを書きます。
お読みくださりありがとうございます。

人生の電車を乗り換える

もしも、あなたが、地獄に向かう電車に乗っていたとしたら、速く走れば走るほど、早く地獄に辿り着いてしまう。
ところが、ほとんどの人は、自分がどこに向かっているかわからないと、さらにがんばって電車を加速させてしまうのである。
では、自分が乗っている電車が地獄行きだとわかったら、どうしたらいいか。
それは、一回、乗っている電車を降りることだ。
そして、ユートピア行きの電車を探して、その電車に乗り換えることだ。
地獄行きの電車に乗ることは、エゴの道を進むことである。
ユートピア行きの電車に乗ることは、真我の愛の道を進むことである。
早く自分の乗っている電車がどちらに向かっているかを確かめ、もし、地獄行きの電車に乗っていたら、一刻も早く、ユートピア行の電車に乗り換えることだ。

佐藤康行「図解神のメッセージ」68頁

週末、相続対策のお手伝いをさせていただいたお客様が亡くなられて、お参りをしました。

その時に「生命保険を取り扱うということ」の重さを改めて気づきました。タフな仕事だと思いました。

まだ銀行や証券会社、僕以外の保険の担当者、誰にも連絡をしていない。一番最初に僕のところに連絡をもらいました。
一番最初に、というところにとても重みを感じました。
お客様は葬儀屋さんからやることリストをもらっていましたが、それと合わせて僕の方でも、役場の手続き、金融機関の手続き、相続の手続き、保険の手続き、諸々流れをご説明して、僕が任されている保険の受け取り手続きはもちろん、他の保険会社のものもすべて把握していたので、どの契約にどのような手続きが必要かをひとつひとつ案内しました。
結果、他の保険会社の手続きの際も同席をすることに。

お客様はおじいさんが亡くなられたときに相続をしていた方だったのでわかって見えると思ったのですが、亡くなられたおばあさんが全部やったので実は何をどうやっていいかわからない。誰に何を頼めばいいのかもわからない。
そんな状態でした。
そしてすべてのサポートを引き受けることに。

信託銀行がやる業務だったりしますがかなりの費用がかかります。
ああ、これ自分の付加価値だな、と実感しました。

生前、やれる準備のお手伝いすることができました。
ギリギリに間に合ったものもあります。
税金の軽減という点からすると長生きをしてもらえたら、もっと効果はあったと思いますが、税金だけじゃなくて始末に悩んでいた所有不動産のことを解決できたり、肩の荷をおろしてもらうことはできたと思います。
我ながらいい仕事ができた。

だけど、ここから。

そう思います。

亡くなられたおばあさんは結構なご高齢だったので、直前まで元気で突然のことだったとはいえ、遺族が生活がガラッと変わってしまう、混乱してしまう、ということはありません。それでも何をどうしていいか分からず。

若いお客様にもしもの時が訪れ、死亡保険金を届けるという場面では、遺族はもっと悲しみ、もっと混乱するであろうと思います。
そのときに頼りにされる人間でなければならない。
そのときに保険金を届け亡くなられた方の代わりに家族を支えれる人間でなければならない。

帰りの車の中で

(ある意味、医者のような仕事かもしれない…

闘病中は医者が患者とその家族に頼られる。

死後は死亡保険金を届ける生命保険の担当者がそのポジションになりうる。

タフな仕事なんだ…)

死後、お客様に変わるのは死亡保険金とそれを届ける担当者だ。

この業界20万人以上の生命保険の募集人がいるが死亡保険金の手続きをした経験がある人は実はそんなに多くない。

僕自身は2件あるが80歳過ぎたご高齢の方のみで、まだ若いお客様のそれはない。

だけど、もし若いお客様の死亡保険金を届けるときがきたとしたら、僕は死亡保険金と一緒にそのお客様の人生をかけた思いも届け、遺族の支えになることができると思う。

佐藤先生の下で学ばせてもらっているおかげで。

YSコンサルタントの生命保険営業に向けた教材に、“生命保険を扱う仕事は聖業である”とある。

聖業。

命を扱う仕事。

重たく、タフで、奥の深い仕事。