答えは相手自身の中にある

おはようございます。今日は朝からブログを書きます。ブログを勧めてくれたTさんはどんなに多忙でも、どんなに前日夜に遅くなっても、毎朝ブログを更新しています。見習いたいです。毎日書くことは習慣化できてきたので、今度は毎朝書くことを習慣化したいです。

今日も真我の追求と仕事の実践に焦点を合わせて一日を過ごすためにブログを書きます。

Q.商品のことをあまり好きじゃない時はどう考えればいいでしょうか?

→A.自分が好きじゃなくてもお客様が必要だったらいいんです。

自分は宝石なんて必要としないし、どうして女性が好んで宝石を持つのかわからなくても、お客様が必要だというのだったら、その気持ちになることはできるはずです。

釣りに行く時に、自分はミミズを好きじゃないけど、魚は好きですよね。魚が好きなものを持って行くのであって、自分が好きなものを持って行くのではないんです。

「自分はサーロインステーキが好きだから」とか、「野菜が好きだから」と言って、そういうものを魚の餌には持って行かないですよね。自分がミミズを食べなくても、魚はミミズが好きなんです。

あくまでも、釣りに行く時には、魚が好きなものを持って行ってあげるはずです。

そうして初めて釣りをして楽しいのであって、自分がミミズを嫌いとか好きとかという問題ではありません。

要するに、商品に惚れる惚れないということよりも、お客さまに喜んでもらうことに喜びを感じられるようになったらいいんです。自分がその商品に惚れる惚れないということが一番ではないんです。

ポイント お客様に喜んでもらうことを一番の喜びとすれば、自分が商品に惚れこんでいなくてもよい

佐藤康行 究極の営業プログラムより

自分はミミズを好きじゃないけど魚がミミズを好きだから魚釣りの餌にミミズを持って行くたとえ話は、とても明確で分かりやすい話で好きです。

僕は保険の営業マンですが、これはよく陥りがちです。自分もプログラムでのこの話を聴くまではごちゃごちゃになっていました。。

“自分が”1番良いと思う保険商品はこれだ

“あなたにとって”(自分が)1番良いと思う保険商品はこれだ

では全く違いますよね。

相手が何がお好みか、相手が何を大切にしているかの深いところを見つけていき、それを発見して保険のプランとして形にしていく。

設計士が家を設計するときにクライアントの家族がどんな生活をしていて、どんな趣味があって、どんな望みがあって、どんな家族の将来を描いていて、どんな財布事情で、どんな悩みがあって、といったところを深く探っていきなが設計していくことを連想しました。

決して設計士自身の1番いい家を押し付けたりはしませんよね。アイデアは出してもいいねと思うかどうかはお客様自身。

先月、息子の誕生日がありました。息子は半年前からwiiUのマリオメーカーというゲームが欲しくてたまりませんでした。誕生日のプレゼントをどうするか妻と相談するときに、ゲームをあげるとまたゲームばっかりで遊んでしまって良くないんじゃないか?ということがありました。

もっといろいろなことを学んでほしいから「図鑑」にしよう

もっと体を動かしてほしいから「野球のグローブとバット」にしよう

そろそろ自転車に乗れるようになって欲しいから「自転車」にしよう

これは親の欲求であって息子の欲求ではありません。息子は全然嬉しくありません。

息子が「欲しい」と言っているマリオメーカーをプレゼントしたほうが息子は喜びます。そしてゲームばっかりにならないようなことを考えればよいのではないかと思いました。

もしくは息子自身、自分でも気づいていないマリオメーカー以上に欲しいものを発見してそれをプレゼントするならマリオメーカー以外のものでもいいかなと思いましたが、発見できません。

結果、マリオメーカーをプレゼントして息子は大喜び。

お客様の考えと営業マンの考え、息子の考えと親の考え。

お客様のため息子のためと思っても、営業マンの考え親の考えをはさむのは、いわゆる“かぶせ”ってやつなんですね。

いかに“我”をはさまないか。

“答え”は相手自身の中にある。

これを意識して、相手自身も気づいていない奥にある“答え”をプレゼントできたら最高だなー

シンプルだけど奥が深く、難しいテーマですね。